主イエスは十字架にかけられたその日のうちに死に、墓に葬られました。しかし三日目の朝、婦人たちが墓へ行ってみると、墓に主イエスのご遺体はありません。
そこに現れたみ使いが言います。「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ(28:6)」。主イエスは言っていました。ご自分が「必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている(21)」と。弟子たちはうまくこの言葉を聞き取れません。主イエスから聞いた時は、その言葉に覆いがかかり、聞いてもよくわからなかった。
しかしその覆いが取り去られました。み使いは婦人たちに、主イエスが復活したと告げます。そして主イエスは、復活させられたご自身を弟子たちに現し、神の国のご支配を疑いようのない姿で、表しました。
ペトロはこの時ようやく、かつて主イエスが言った言葉の中身を知り始めます。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ(17)」。ペトロは、主イエスが十字架で死んでしまったとき、失望しました。躓きました。しかしそのペトロの人間の思いを超えて、神さまは「この方こそメシア、生ける神の子である」とペトロに告げたのです。神さまは主イエスを復活させ、この、天の父なる神が現した言葉のもとに、ペトロを立ち上がらせます。
そしてこの、天の父なる神が現した、「この方こそメシア、生ける神の子である」という土台、主イエスの復活という岩の上に立つ者を、主イエスは召し集めます。そのようにして主イエスは教会をお立てになり、ご自身の復活を告げ知らせる教会の歩みを導きます。この、造り主なる神の言葉に立たせていただく群の歩みを今日この地に至るまで、主イエスは導いてくださいました。