2016年10月23日日曜日

「神のものとされた自由」マタイによる福音書17:24-27

わたくしたちが「神(かみ)のものとされる」ということは、これまでの自分(じぶん)が、神(かみ)を主人(しゅじん)とする僕(しもべ)とされ、従(したが)わせられることです。主(しゅ)イエスは、わたくしたちがこれまで規範(きはん)としたことから解(と)き、まことに神(かみ)を規範(きはん)とすることへと従(したが)わせます。わたくしたちをこれまでの歩(あゆ)みから解(と)き、自由(じゆう)にします。
わたくしたちは、自分(じぶん)が歩(あゆ)んできたこれまでの道(みち)のりを背負(せお)います。その過去(かこ)が輝(かがや)かしいものばかりなら、自分(じぶん)でも受(う)け入(い)れやすいのですが、そればかりではないということを、わたくしたちは経験(けいけん)します。ときに、そのわたくしたちの闇(やみ)は、わたくしたちがこれから生(い)きる道(みち)を断(た)ち切(き)ります。それでもなおこれまでの自分(じぶん)の歩(あゆ)みに規定(きてい)され、過去(かこ)に縛(しば)られるなら、わたくしたちは自分(じぶん)を背負(せお)うことに絶望(ぜつぼう)しかねません。
自分(じぶん)で自分(じぶん)をどうすることもできないわたくしたちを、しかし造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)さまは、ご自身(じしん)のものとして、受(うけ入いれてくださいます。これまでの歩あゆみに規定きていされ、過去かこに縛しばられたわたくしたちを、神かみさまは神かみさまの僕しもべとして位置付いちづけ、将来しょうらいへと生いきる道みちのりを開ひらいてくださるのです。
しかしただ単(たん)に自由(じゆう)となり、わたくしたちがこれまで規範(きはん)としてきたことから解(と)かれただけなら、それは過去(かこ)の自分(じぶん)に対(たい)し無責任(むせきにん)となったに過(す)ぎず、そのかつての生(い)き方(かた)そのものは少(すこ)しも変(か)わっていないことになりかねません。そこでは無責任(むせきにん)になった分(ぶん)、わたくしたちはより暴君(ぼうくん)になっている疑(うたが)いがあります。むしろ、わたくしたちを解(と)いてくださった方(かた)の僕(しもべ)として、わたくしたちがこの主人(しゅじん)の言葉(ことば)に聞(き)き、そして従(したが)ってこそ、わたくしたちはこの方(かた)によって解(と)かれた意味(いみ)と目的(もくてき)を持(も)つのです。

主(しゅ)イエスはわたくしたちの将来(しょうらい)を諦(あきら)めません。わたくしたちを全(まった)く神(かみ)のものとし、神(かみ)のもとに命(いのち)を得(え)させるため、やって来(こ)られます。わたくしたちを新(あら)たに生(い)かす将来(しょうらい)へと、この手(て)を引(ひ)き続(つづ)けてくださるのです。