「信仰の薄い者たちよ」。主イエスが弟子たちにこう言うのは、ここで弟子たちが何か持っているようで、実のところ持っていないからです。主イエスが求めるのは、持つのでなく、むしろ神さまに信頼を置くことです。自分が手に持っている何かしらのものにしがみつくことよりも、ただ、主イエスを復活させてくださった神さまに、信頼を置くことです。
そこで主イエスは弟子たちを、彼らの手の内から引き出すという仕方で、この者たちを新たに生かします。主イエスを復活させてくださった神に信頼を置く道を新たにはじめます。
わたくしたちは「これで良い」と自分が見なしうる終着地を手に持ってはいません。しかし、造り主なる神さまが「これで良い」と言っていただけるところへと、主イエスはわたくしたちを常に新たに引き出すのです。神さまはわたくしたちを復活の主イエスに続く者としてくださいます。
それでもなお、わたくしたちは「天からのしるしを見せてほしい」と願うかもしれません。しかし主イエスは「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」と言います。主イエスは、わたくしたちには、ご自身の復活が証されることが必要だと見ます。わたくしたちへと語りかけられた造り主なる神の言葉として、いよいよわたくしたちへと明らかにされることが必要だと見ているのです。
わたくしたちにとって死者の復活はなんとも不自然な出来事です。しかしこの、わたくしたちにとって不自然ともみえる、主イエスの復活において、造り主なる神さまは、わたくしたちに実現すべきご自身の思いを、造られた世に示してくださいました。無から天地を造った神は復活の主イエスに続く者とわたくしたちをしてくださり、死から命へと新たに生かしてくださいます。神さまは、「これで良い」と造り主なるご自身が言ってくださるところへと、わたくしたちを常に新たに引き出してゆくのです。