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2019年2月17日日曜日

「キリストの真実」コリントの信徒への手紙二 11:7-15

「わたしのうちにあるキリストのしんじつにかけています」。そう、パウロはちかいの定式ていしきもちい、自身じしんほこりをかくにんします。パウロは無償むしょうかみ福音ふくいんをコリントにらせました。パウロはこのはたらきを、キリストのめぐみにかさねてます。わたくしたちが「ただキリスト・イエスによるあがないのわざとおして、かみめぐみにより無償むしょうとされる(ローマ3:24)」のとかさねて。
かみさまはしゅイエス・キリストによってわたくしたちをおすくいくださいます。これはみずからの善行ぜんこうささものねっしんいのりによるのでなく、ただかみさまがめぐもうとなさるからです。この、しょうでわたくしたちがめぐまれる背後はいごに、キリストの犠牲ぎせいがありました。そのによってわたくしたちをかすかみ意志いしを、かみさまはこのキリストを復活させて表明ひょうめいしてくださり、よろこんでわたくしたちをめぐまれます。パウロはしょうでコリントにつかえ、キリストのめぐみに参与さんよすることをほこりとします。
このパウロのはたらきを支援しえんするため、マケドニア地方ちほう諸教会しょきょうかい協力きょうりょくしました。コリントの教会きょうかい無償むしょうでパウロの奉仕ほうしを受ける背後はいごに、マケドニアの諸教会しょきょうかい犠牲ぎせいがあります。これは、自分じぶんたちのささものがキリストによって一人ひとりひとりをすくかみ福音ふくいん参与さんよすることをよろこび、ささげられたものです(8:5)。人知ひとしれずささげられた奉仕ほうしれぬものささものかみはご存知ぞんじであられ、かみはキリストによって一人ひとりひとりをすく福音ふくいんらせるため、おもちいになるのです。
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主イエス・キリストはいます。「てもらおうとして、ひとまえ善行ぜんこうをしないように注意ちゅういしなさい。さもないと、あなたがたのてんちちのもとでむくいをいただけないことになる。(マタイ6:1)」。しゅキリストこそが、人知ひとしれずささげるわたくしたちの奉仕ほうしともなってくださっており、かみ感謝かんしゃしてこれをゆたかにおもちいくださいます。そしてかみにささげる礼拝れいはいを、しゅはご自身じしんがさらなる一人ひとりをおすくいになるため、ゆたかにもちいてゆかれるのです。

2019年1月6日日曜日

「豊かに愛される道」コリントの信徒への手紙二 8:1-15

相手あいてにないものを求めず、自分じぶんにあるものをしまず与える用意よういがある。そう信頼しんらいしあえる関係かんけいがあると、わたくしたちは安心あんしんします。ゆたかにあいうことができます。かみさまも、わたしなにかしらをしょゆうしているからわたしみとめるのではありません。わたしという存在そんざいそのものをあいしてくださるから、わたし安心あんしんできるのです。わたくしたちは、あいされ上手じょうずになる必要ひつようがあります。
はらをすかした五千人ごせんにんおとこまえにし、しゅイエスは少年しょうねんしたいつつのパンと二匹にひきさかなかみ感謝かんしゃして、あたえます。そばにいる弟子でしたちには「なんやくにもたない」(ヨハネ6:9)とえたこの少年しょうねんを、しゅイエスはゆたかにもちいます。人々ひとびとしいだけり、満腹まんぷくしました。「おおあつめたものあまることなく、すくなくあつめたものりないことなく」(出エジプト16:18)。天来てんらいのマナはそのごとにたみ必要ひつようたしました。しゅわたしゆたかにもちいてくださいます。
パウロはこの信頼しんらいみなもとしゅイエス・キリストのめぐみにます。このおかたは「かみではない」とさげすまれ(ヨハネ19:7)、十字架じゅうじかにおいてだれにも価値かちのない姿すがたんでいきました。しかしかみさまは、まずしくんだこのおかた復活ふっかつさせ、かみとしてあぶらそそぎ、わたくしたちをゆたかにめぐしゅとされました。「しゅゆたかであったのに、あなたがたのためにまずしくなられた。それは、しゅまずしさによって、あなたがたがゆたかになるためだった」。パウロはそううったえます。
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わたくしたちは「っていない」といってみとめてもらえないのではありません。かみさまはわたくしたちそのものをすべ歓迎かんげいしてもちいてくださいます。このあいされるあゆみを、洗礼せんれいけ、聖餐せいさんあずかることからはじめさせてくださいます。じつに、わたくしたちのあいしゅへのささものであり、これをけるあいしゅがこのものあたえるのであり、きも損得そんとくもありません。かみこそがわたしみとめ、しゅイエスがかみ感謝かんしゃしてわたしすべてをれておられます。