2016年10月9日日曜日

「造り主の声に聞く日」マタイによる福音書17:1-13

主しゅイエスは弟子でしのペトロとヤコブとヨハネだけを連つれ、高たかい山やまへと登のぼります。主しゅイエスに連つれられた三人さんにんの弟子でしは、自分じぶんたちが幻まぼろしの中なかにあることを知しります。そのとき幻まぼろしは、主しゅイエスが天てんからの輝かがやきに満みち、神かみの栄光えいこうに輝かがく様子ようすを、弟子でしたちに映うつし出だします。「イエスの姿すがたが彼かれらの目めの前まえで変かわり、顔かおは太陽たいようのように輝かがやき、服ふくは光ひかりのように白しろくなった」。さらに、そこに現あらわれたモーセとエリヤと語かたる主しゅイエスを、光ひかり輝かがやく雲くもが覆おおいます。
ここでペトロたちは、神(かみ)からの声(こえ)として、雲(くも)の中(なか)から響(ひび)く声(こえ)を聞(き)きます。「これはわたしの愛(あい)する子(こ)、わたしの心(こころ)に適(かな)う者(もの)。これに聞(き)け」。ひれ伏(ふ)す弟子(でし)たちに、主(しゅ)イエスは近(ちか)づき、手(て)を触(ふ)れて言(い)います。「起(お)きなさい。恐(おそ)れることはない」。顔(かお)を上(あ)げてみると幻(まぼろし)は覚(さ)め、主(しゅ)イエスがただ一人(ひとり)そこにいました。
主(しゅ)イエスはペトロら三人(さんにん)と山(やま)を下(お)りる道(みち)すがら、彼(かれ)らに言(い)います。「今(いま)

見(み)たことをだれにも話(はな)してはならない」。主(しゅ)イエスは今回(こんかい)は時(とき)を定(さだ)め、三人(さんにん)に沈黙(ちんもく)を命(めい)じます。「人(ひと)の子(こ)が死者(ししゃ)の中(なか)から復活(ふっかつ)するまで」。この時(とき)までは今(いま)見(み)た幻(まぼろし)を誰(だれ)にも話(はな)すな、と言(い)います。この時(とき)までは、と敢(あ)えて主(しゅ)イエスが言(い)うのは、ペトロたちにはなお聞(き)くべき言葉(ことば)が、この後(あと)あるからです。主(しゅ)イエスが死者(ししゃ)の中(なか)から復活(ふっかつ)させられた時(とき)に、聞(き)くべき声(こえ)があるからです。
主(しゅ)イエスは、予告(よこく)した通(とお)り、神(かみ)の御意志(ごいし)に従(したが)ってエルサレムへ行(い)き、長老(ちょうろう)、祭司長(さいしちょう)、律法学者(りつほうがくしゃ)たちから多(おお)くの苦(くる)しみを受(う)け、十字架(じゅうじか)で殺(ころ)されます。
しかしこの主(しゅ)イエスが、三日目(みっかめ)に復活(ふっかつ)し、弟子(でし)たちに現(あらわ)れます。死(し)んだ者(もの)にさえ命(いのち)を与(あた)えるという、命(いのち)の造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)にのみなし得(う)る業(わざ)を、神(かみ)は主(しゅ)イエスの復活(ふっかつ)において示(しめ)し、造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)から発(はつ)せられた、造(つく)られた世界(せかい)に対(たい)する、大(おお)いなる言葉(ことば)を響(ひび)かせてくださったのです。造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)さまは、主(しゅ)イエスを死者(ししゃ)の中(なか)から復活(ふっかつ)させ、「これに聞(き)け」という声(こえ)を、わたくしたちにも響(ひび)かせておられます。