2018年6月17日日曜日

「人を造り上げる愛の言葉」コリントの信徒への手紙一 14:1-19

「愛あいを追おい求もとめなさい。霊的れいてきな賜物たまもの、特とくに預言よげんするための賜物たまものを熱心ねっしんに求もとめなさい」。パウロはそう命めいじます。神さまはわたくしたちを愛あいしてくださいます。愛あいしてくださることに信頼しんらいし、愛あいを求もとめるようパウロは命めいじます。神かみさまに愛あいされ、そこからわたくしたちは神かみさまを知しっていくことになります。私わたしを愛あいしてくださる神かみとの交まじわりを深ふかめてゆくことになります。
神かみさまは御子みこイエスを十字架じゅうじかの死しに明あけ渡わたすことさえして、わたくしたちに対たいするご自身じしんの愛あいをお示しめしになろうとしました(2:9)。その死しを代価だいかとしてわたくしたちをご自身じしんのものとしようとされたのです(6:20)。このようにしてまでわたくしたちを愛あいし、ご自身じしんそのようなお方かたであることを知しらせるため、神かみさまは御子みこを死者ししゃの中なかから復活ふっかつさせ、ご自身じしんの証あかししとしてくださいました(15:4)。この神かみさまとの出会であいをもたらすため、御子みこイエスは来こられたのです。
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この出会であいは、神かみさまを知しることになった本人ほんにんにとって何物なにものにも換かえることのできない賜物たまものです。そこでわたくしたちは自分じぶんが神かみの愛あいの言葉ことばによって造つくり上あげられてゆくことを知しります。ただその出会であい方かたや神かみに愛あいされていると知しったきっかけは、人ひとそれぞれであり、同おなじようにすれば同おなじように知しれる出会であえるというようなものではありません。ですから神かみから受うけた愛あいを、理性りせいによって受うけ止とめ、解釈かいしゃくし、届とどけられた神かみからの言葉ことばを豊ゆたかに受うけてゆくことが必要ひつようです。
そのためにも、神かみさまとの愛あいの交まじわりに迎むかえられたわたくしたちは、自分じぶんの思おもいをそこに満みたすのでなく、神かみの思おもいを満みたしていただく必要ひつようがあります。わたくしたちに注そそがれた神かみの愛あいはわたくしたちに収おさまり切きらず、わたくしたちから溢あふれ、ほかの人ひとが造つくり上あげられるため注そそがれてゆきます。神かみの教会きょうかいが造つくり上あげられてゆきます。このため、神かみの言葉ことばに聞きき、御子みこイエスを受うけ入いれる礼拝れいはいがわたくしたちのところにまでやってきました。

2018年6月10日日曜日

「いつまでも残る愛」コリントの信徒への手紙一12:31b-13:13

「信仰しんこうと、希望きぼうと、愛あい、この三みっつは、いつまでも残のこる。その中なかで最もっとも大おおいなるものは、愛あいである」。信仰しんこうと希望きぼうと愛あい。これは神かみさまとの交まじわりです。造つくり主ぬしなる神かみさま、天てんの父ちちなる神かみさまとわたくしたちとの交まじわりです。父ちちなる神かみさまが与あたえてくださったこの交まじわりに、わたくしたちがいつまでも留とどまるよう、主しゅイエスは最後さいごまでしっかりと支ささえてくださいます(1:8)。
主しゅイエスこそが、わたくしたちを愛あいし、死しを超こえてわたくしたちを呼よび起おこし、ご自身じしんと父ちちなる神かみさまとの交まじわりのうちに、わたくしたちを抱だき寄よせてくださいます。ここでの愛あいは、キリストに表あらわされた、神かみの愛あいです。主しゅイエス・キリストが、十字架じゅうじかで自みずからの命いのちをささげ、わたくしたちを愛あいしてくださいました。その命いのちによって、わたくしたちが生いかされ、わたくしたちを神かみのものとする身代金みのしろきんとして、キリストはわたくしたちのために死しんでくださったのです(7:23)。

それがまことにそうだ、という神かみの宣言せんげんとして、神かみさまは、十字架じゅうじかで死しんだ御子みこキリストを、死者ししゃの中なかから復活ふっかつさせました。ここに神かみさまは、自みずからの独ひとり子ごを明あけ渡わたしてまで、わたくしたちを神かみの子ことしようとする天てんの父ちちとしての顔かおを現あらわし、お造つくりになった一人ひとりひとりを愛あいし抜ぬく造つくり主ぬしであることを、証あかししてくださったのです。復活ふっかつさせられたキリストはこの御父おんちちの顔かおの前まえにある御子みことしての姿すがたを現あらわし、この交まじわりに与あずかる礼拝れいはいへとわたくしたちを迎むかえてくださいます。
そして、主しゅイエス・キリストの来きてくださる日ひ、わたくしたちは顔かおと顔かおを合あわせて神かみを見みることになる。それは高たかぶるためではありません。もう、そんな思おもいは廃すたれてどうでも良よくなってしまっています。神かみさまが、この自じ分ぶんを全すべて受うけ入いれてくれた。死しも苦くるしみも、悩なやみも悲かなしみも、全部ぜんぶ知しり、そこに共ともにいてくださった。もうそこには、誰だれの妬ねたみもありません。誰だれの自慢じまんも、苛立いらだちも、恨うらみも。いつまでも残のこるのは愛あい、この神かみとの交まじわりです。