現在、以下のとおり集会を行なっています。
主日礼拝
毎週日曜日
午前10時15分より
祈祷会
毎週木曜日
午後2時より
2019年4月1日月曜日
2019年3月3日日曜日
2019年2月24日日曜日
「キリストに仕える者」コリントの信徒への手紙二 11:16-33
パウロはこれまで、苦労を人一倍重ねてきました。「川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難」。投獄され、鞭打たれ、死ぬような目にあってきた。でも、パウロは自分の苦労を自慢しません。パウロはむしろ、自分が困難にあってもなお立ち上がらせていただいた、その事実に目を向け、誇ります。
数々の労苦、困難。そこでなおパウロを立たせてきたのは、主イエス・キリストです。パウロは「あのとき自分はキリストにとらえられた」という出会いに信頼を置きます。「キリストを死から復活させた神が、この自分を立たせてくださった」。そう、こちらの側から言い得るとすれば、それはキリストに仕える者として立たせていただくことにおいてです。そしてもはや何も、神の前に立つのに妨げるものなどないということを、神さまはキリストの復活に表してくださいました。
キリストを迫害する者であったパウロが、キリストに仕えるゆえ迫害される側になりました。苦難にあっても、キリストが立ててくださいました。パウロは、そうやって一人ひとりを立てるキリストに仕えます。「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」。他でもないキリストが、困難にあるわたくしたちに心を燃やしておられます。そしてなおこの身を立たせてくださるのです。
教会は、キリストを死から復活させた神を宣べ伝え、その働きに仕えます。一人ひとりがキリストによって立つため、お仕えします。キリストが、困難にあるわたくしたちを神の前に立ち上がらせてくださるからです。わたくしたちも、キリストにとらえられた出会いへと、共に立ち帰らせていただきます。キリストによってその一人が立てられてこそ、教会はなおもキリストの体として造り上げられていくのです。
2019年2月17日日曜日
「キリストの真実」コリントの信徒への手紙二 11:7-15
「わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います」。そう、パウロは誓いの定式を用い、自身の誇りを確認します。パウロは無償で神の福音をコリントに告げ知らせました。パウロはこの働きを、キリストの恵みに重ねて見ます。わたくしたちが「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる(ローマ3:24)」のと重ねて。
神さまは主イエス・キリストによってわたくしたちをお救いくださいます。これは自らの善行や献げ物や熱心な祈りによるのでなく、ただ神さまが恵もうとなさるからです。この、無償でわたくしたちが恵まれる背後に、キリストの犠牲がありました。その死によってわたくしたちを生かす神の意志を、神さまはこのキリストを復活させて表明してくださり、喜んでわたくしたちを恵まれます。パウロは無償でコリントに仕え、キリストの恵みに参与することを誇りとします。
このパウロの働きを支援するため、マケドニア地方の諸教会が協力しました。コリントの教会が無償でパウロの奉仕を受ける背後に、マケドニアの諸教会の犠牲があります。これは、自分たちの献げ物がキリストによって一人ひとりを救う神の福音に参与することを喜び、献げられたものです(8:5)。人知れずささげられた奉仕、名の知れぬ者の献げ物を神はご存知であられ、神はキリストによって一人ひとりを救う福音を告げ知らせるため、お用いになるのです。
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主イエス・キリストは言います。「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。(マタイ6:1)」。主キリストこそが、人知れずささげるわたくしたちの奉仕に伴ってくださっており、神に感謝してこれを豊かにお用いくださいます。そして神にささげる礼拝を、主はご自身がさらなる一人をお救いになるため、豊かに用いてゆかれるのです。
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