2016年1月3日日曜日

「神への全き信頼」マタイによる福音書6:25-34


わたくしたちは、自分(じぶん)で自(みずか)らの命(いのち)を始(はじ)めたのではありません。この命(いのち)を誕生(たんじょう)させた神(かみ)さまがいます。そして、わたくしたちを造(つく)った方(かた)がいるからには、この命(いのち)を造(つく)った目的(もくてき)があります。必(かなら)ず目的(もくてき)があって、この命(いのち)は誕生(たんじょう)させられたのです。
天(てん)の父(ちち)なる神(かみ)さましか未(いま)だ知(し)り得(え)ない、この自分(じぶん)の目的(もくてき)をわたくしたちが知(し)るようにと、主イエスは造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)さまの声(こえ)、天(てん)の父(ちち)なる神(かみ)さまのわたくしたちへの声(こえ)を聞(き)くことを求(もと)めます。「何(なに)よりもまず、神(かみ)の国(くに)と神(かみ)の義(ぎ)を求(もと)めなさい」と。
造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)さまはわたくしたちに対(たい)し、主権者(しゅけんしゃ)として王(おう)としての支配(しはい)を全(まっと)うします。それは、わたくしたちをとこしえに神(かみ)の前(まえ)に生(い)かすという仕方(しかた)で全(まっと)うします。わたくしたちをも父(ちち)と子(こ)の交(まじ)わりに入(い)れてくださるのです。
ですがわたくしたちは未(いま)だこの造(つく)り主(ぬし)を知(し)らず、その思(おも)いを知(し)らないでいました。わたくしたちに注(そそ)がれた神(かみ)の思(おも)いを受(う)け入(い)れられずにいた。ですから、主(しゅ)イエスをも受(う)け入(い)れず、かえって主(しゅ)イエスは十字架(じゅうじか)で殺(ころ)されねばなりませんでした。
けれども神(かみ)さまは十字架(じゅうじか)で死(し)んだこの主(しゅ)イエスを、死者(ししゃ)の中(なか)から復活(ふっかつ)させました。主(しゅ)イエスは十字架(じゅうじか)の死(し)から復活(ふっかつ)されました。それは主(しゅ)イエスが自(じ)分(ぶん)の力(ちから)で復活(ふっかつ)したのではありません。人間(にんげん)の力(ちから)に助(たす)けられ復活(ふっかつ)したのでもない。それでも主(しゅ)イエスは復活(ふっかつ)しました。天(てん)の父(ちち)なる神(かみ)さまが、わたくしたちに命(いのち)を得(え)させる造(つく)り主(ぬし)としてのご自身(じしん)を明(あき)らかにするため、主(しゅ)イエスを復活(ふっかつ)させたのです。
ここに神(かみ)さまは、命(いのち)の造(つく)り主(ぬし)であるご自身(じしん)がいると宣言(せんげん)します。わたくしちをとこしえに神(かみ)の前(まえ)に生(い)かし神(かみ)の国(くに)をこの身(み)に実現(じつげん)する神(かみ)の思(おも)いを、神(かみ)さまは主(しゅ)イエスの復活(ふっかつ)において宣言(せんげん)します。十字架(じゅうじか)の死(し)をもってすら、引(ひ)き裂(さ)くことができなかった御父(みちち)と御子(みこ)の関係(かんけい)に、神(かみ)さまはわたくしたちをも加(くわ)えてくださるのです。