わたくしたちは神を映す鏡です。天の父なる神さまはご自身の栄光を映す鏡としてわたくしたちを造りました。その鏡がまことに神へと向くよう、主イエスはわたくしたちを導きます。神から注がれる栄光はわたくしたちに新しい命をはじめます。
神さまは、ご自身に似せて、ご自身にかたどって、人アダムを造りました(創世記1:26)。ところがアダムは、この神の似像を損ないます。その原因を、創世記はアダムの堕罪に見ます。取って食べるなと命じられていた木からアダムは実を取って食べてしまった。目が開け自分が裸であると気付いたアダムは、神の前に立つことを避け、自分を隠します。神にかたどって造られた自分の姿、神に似せて造られた自分を恥じたのです。
園のすべての木から取って食べることを認められ、造り主の栄光を存分に受け、命を与えられたアダム。そのアダムが、神の前に大きく息することができなくなった。神の似像を損なったアダムは、神の前に立つ関係を損ないました。しかし、このアダムへと、神さまは「皮の衣を作って着せられた(創世記3:21)」。神さまはアダムをなおご自身の前に立たせます。
皮の衣を作るからには、一つの命が犠牲になります。その命は神のものです。神さまは、アダムのため命を犠牲にし、皮の衣を着せました。天の父なる神さまはわたくしたちをも、神の前に立つ関係を回復させるため、主イエス・キリストを与えました。
主イエスがわたくしたちのため十字架で犠牲となりました。神さまはこの命によって、わたくしたちを生かします。神さまは十字架で死んだ主イエスを死者の中から復活させ、この方をわたくしたちに着せる衣としました。わたくしたちもまた、洗礼を授かることをもって、この天にある衣を着させて頂きます。
この、天の父なる神さまの前にあるわたくしたちの命へと、主イエスはわたくしたちをなおも導くのです。