パウロは言います。「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです」。主は出エジプトのため初子を撃つ災いをくだします。その日イスラエルは小羊を屠り、種入れぬパンと共に食べます。その家を主は過ぎ越します(出エジプト記12)。パウロは、この過越祭が主の晩餐(聖餐)を祝う先取りと見ます。
主イエスが十字架の死において、わたくしたちの過越の小羊として屠られました。その証として、神さまはこのお方を死者の中から復活させました。主イエスはその名による洗礼を授かるわたくしたちの贖いとなってくださり、この過越の小羊によってわたくしたちを主のものとして買い戻してくださいます。わたくしたちはこれを祝い聖餐に与るのです。
もし、パン種の入っていない者なのなら、古いパン種を取り除く必要はありません。しかしパウロはコリントの教会の者たちに、取り除くよう命じます。それは、彼らが主イエスの十字架の死に与り、パン種の入っていない新しい練り粉とされていながらも、そうではないところに立つからです。パウロは言います。「あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか」。古いパン種を取り除かねばなりません。
ただ、わたくしたちには自分の古いパン種を取り除く力はありません。同様に、誰かに取り除くよう求めてもその人にできもしない責任を押し付けるばかりです。ですからパウロはわたくしたちの過越の小羊として屠られたキリストに与る聖餐を指し示します。主イエスこそが、わたくしたちを新しい練り粉とし純粋で真実のパンとしてくださいます。聖餐においてこの恵みに与り、繰り返し立ち帰る幸いを共々に祝うのです。