主のみ使いは羊飼いたちに告げます。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。み使いの知らせは羊飼いたちにとって驚きでしたが、見に行ってベツレヘムの町で乳飲み子を探し当てた時、語られた言葉がその通り実現したのを羊飼いたちは知ります。乳飲み子は布にくるまって飼い葉桶に寝ていました。
羊飼いたちが信じたのは、主が知らせてくれたことは実現する、ということです。造り主なる神さまはご自身の思いを言葉にし、語った言葉を実現します。神さまはわたくしたちを愛し、わたくしたちを滅びからお救いくださいます。その御心を映し出す器として「あなたがたのための救い主」が誕生しました。そして、羊飼いたちにはそれが判る仕方でしるしを与えられ、彼らが到達しうるところへ届けられました。実にベツレヘムでの誕生は、彼らのためであったのです。
この自分のため救い主を誕生させた神が、やがてその生まれた乳飲み子によってこの自分をお救いくださる。羊飼いたちは漠然としつつもこの約束を胸に抱き、歩み始めます。わたくしたちもそうです。教会はみ使いと共に、実現する神の言葉を告げ知らせます。わたしを救う神がおられるのであり、この神がわたしをどこまでも愛しておられる。この神を知り出会うことにより、主が共におられる歩みを始めます。わたくしたちはこの約束を受け止めることから始まるのです。
町の者たちは、飼い葉桶に寝る乳飲み子が自分たちの主メシアであると聞いて驚きます。しかし神さまはこれを全ての民に与えられる大きな喜びとしてくださいます。神さまは、十字架で殺されたこのイエスを復活させ、わたくしたちの主メシアだと宣言してくださいました(使徒言行録2:36)。復活の主イエスはやがて来てそのご支配を全うしてくださいます。教会はその日を待ち望みつつ、救い主の誕生を告げ知らせるのです。