2018年1月21日日曜日

「この体に現される神の栄光」コリントの信徒への手紙一6:12-20

創世記(そうせいき)(かみ)天地万物(てんちばんぶつ)(つく)った()(だい)辿(たど)ります。「(かみ)()われた。「(ひかり)あれ。」こうして、(ひかり)があった。(かみ)(ひかり)()て、()しとされた(1:3,4)」。(かみ)言葉(ことば)をもって天地(てんち)(つく)り、その(ひと)つひとつを()て「()し」とされます。六日目(むいかめ)(かみ)は、(つく)ったもの(すべ)てを見渡(みわた)します。創世記(そうせいき)は、この眼差(まなざ)しに()()げられて()います、「()よ、それは(きわ)めて()かった」(1:31)。
この「()かった」とご(らん)(かみ)は、「(ひと)(ひと)りでいるのは()くない(2:8)」と()ます。(かみ)(ひと)アダムに()(たす)ける(もの)()れて()ます。ですが()(けもの)(そら)(とり)はそれに見合(みあ)いません。(かみ)はアダムのあばら(ぼね)一部(いちぶ)()()り、それで(おんな)(つく)()げます。(かみ)(おんな)()れて()ると、アダムは歓喜(かんき)します。「これこそわたしの(ほね)(ほね)、わたしの(にく)(にく)」。創世記(そうせいき)は「二人(ふたり)一体(いったい)となる(2:24)」と()い、(かみ)結婚(けっこん)秩序(ちつじょ)を「()し」とし、(あい)()二人(ふたり)(まじ)わりを(よろこ)んでいる、と()ます。
この、二人ふたり一体いったいとなるまじわりを、パウロはわたくしたちとキリストとのまじわりとしてます。つまりかみ十字架じゅうじかながされたキリストのによってわたくしたちをり、しゅであるキリストのしもべとして「し」としてくださる、とうのです。わたくしたちは復活ふっかつさせられたしゅからだ一部いちぶとなりしゅひとつとされます。わたくしたちは、復活ふっかつしゅからだかたむすばれるのであり、かみしゅ復活ふっかつさせたそのちからによって、わたくしたちをも復活ふっかつさせてくださいます(14)。
このご支配(しはい)がわたくしたちの(からだ)(まっと)うする()()(のぞ)む、礼拝(れいはい)(あゆ)みを(かみ)はお(あた)えになりました。パウロは「自分(じぶん)(からだ)(かみ)栄光(えいこう)(あらわ)しなさい」と()います。(しゅ)(からだ)一体(いったい)とされ、(しゅ)のものとしてこのお(かた)との(まじ)わりに()かされる礼拝(れいはい)(あゆ)みにこそ、わたくしたちを「()し」としておられる(かみ)栄光(えいこう)(うつ)()されます。(しゅ)であるキリストにお(つか)えし、(あい)(よろこ)びに()かされる教会(きょうかい)を、(かみ)はご自身(じしん)栄光(えいこう)のためお(もち)いくださるのです。