身ごもったエリサベトは言います、「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」。子が与えられることは彼女の念願でした。ですが主は、これまで彼女に目を留めて来なかったのでしょうか。夫ザカリアにも主のみ使いは言います、「あなたの願いは聞き入れられた」と。主はそれまで聞いておられなかったのか。
主は、二人に目を留め、願いを聞いておられました。そして、主こそが見ている現実が二人に実現する日を待ち望んできたのです。ですから主のみ使いはザカリアに言います。「時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかった」。ザカリアは口が利けなくされます。しかし男の子が誕生し、命じられた通り「ヨハネ」と名付けた時、ザカリアの口は開かれました。主はわたくしたちに目を留め、あらかじめ見ている現実が、この身に実現する日を待ち望んでおられます。
主は、わたくしたちの思いを打ち破る仕方で、ご自身が神であることを示します。わたくしたちの思いを打ち破り、ご自身があらかじめ見ている現実をわたくしたちへと実現させます。主は、その目に留めているのが何であるのか、十字架で死んだ御子イエスを復活させることで示してくださいました。「死んだらおしまい」というわたくしたちの思いを、主は打ち破ってしまったのです。今や主はご自身の見ていることを実現します。主はわたくしたちの死に勝利してくださいます。
その日が来ることを、主こそが待ち望んでいます。わたくしたちは、「神がいるならなぜわたしに目を留めてくれないのか」と嘆くことがあります。しかし主はわたくしたちに目を留めており、主が見ている現実が実現する日を待ち望んでいます。わたくしたちを最後に支配するのは神の勝利です。わたくしたちはこの主を礼拝し告白しつつ、この勝利をわたくしたちに満たす主イエス・キリストが来られる日を、主と共に待ち望んで参るのです。