2017年12月10日日曜日

「あなたに目を留める神」ルカによる福音書1:5-15

身(み)ごもったエリサベトは言(い)います、「主(しゅ)は今(いま)こそ、こうして、わたしに目(め)を留(と)め、人々(ひとびと)の間(あいだ)からわたしの恥(はじ)を取(と)り去(さ)ってくださいました」。子(こ)が与(あた)えられることは彼女(かのじょ)の念願(ねんがん)でした。ですが主(しゅ)は、これまで彼女(かのじょ)に目(め)を留(と)めて来(こ)なかったのでしょうか。夫(おっと)ザカリアにも主(しゅ)のみ使(つか)いは言(い)います、「あなたの願(ねが)いは聞(き)き入(い)れられた」と。主(しゅ)はそれまで聞(き)いておられなかったのか。
主(しゅ)は、二人(ふたり)に目(め)を留(と)め、願(ねが)いを聞(き)いておられました。そして、主(しゅ)こそが見(み)ている現実(げんじつ)が二人(ふたり)に実現(じつげん)する日(ひ)を待(ま)ち望(のぞ)んできたのです。ですから主(しゅ)のみ使(つか)いはザカリアに言(い)います。「時(とき)が来(く)れば実現(じつげん)するわたしの言葉(ことば)を信(しん)じなかった」。ザカリアは口(くち)が利(き)けなくされます。しかし男(おとこ)の子(こ)が誕生(たんじょう)し、命(めい)じられた通(とお)り「ヨハネ」と名付(なづ)けた時(とき)、ザカリアの口(くち)は開(ひら)かれました。主(しゅ)はわたくしたちに目(め)を留(と)め、あらかじめ見(み)ている現実(げんじつ)が、この身(み)に実現(じつげん)する日(ひ)を待(ま)ち望(のぞ)んでおられます。
主(しゅ)は、わたくしたちの思(おも)いを打(う)ち破(やぶ)る仕方(しかた)で、ご自身(じしん)が神(かみ)であることを示(しめ)します。わたくしたちの思(おも)いを打(う)ち破(やぶ)り、ご自身(じしん)があらかじめ見(み)ている現実(げんじつ)をわたくしたちへと実現(じつげん)させます。主(しゅ)は、その目(め)に留(と)めているのが何(なん)であるのか、十字架(じゅうじか)で死(し)んだ御子(みこ)イエスを復活(ふっかつ)させることで示(しめ)してくださいました。「死(し)んだらおしまい」というわたくしたちの思(おも)いを、主(しゅ)は打(う)ち破(やぶ)ってしまったのです。今(いま)や主(しゅ)はご自身(じしん)の見(み)ていることを実現(じつげん)します。主(しゅ)はわたくしたちの死(し)に勝利(しょうり)してくださいます。
その日(ひ)が来(く)ることを、主(しゅ)こそが待(ま)ち望(のぞ)んでいます。わたくしたちは、「神(かみ)がいるならなぜわたしに目(め)を留(と)めてくれないのか」と嘆(なげ)くことがあります。しかし主(しゅ)はわたくしたちに目(め)を留(と)めており、主(しゅ)が見(み)ている現実(げんじつ)が実現(じつげん)する日(ひ)を待(ま)ち望(のぞ)んでいます。わたくしたちを最後(さいご)に支配(しはい)するのは神(かみ)の勝利(しょうり)です。わたくしたちはこの主(しゅ)を礼拝(れいはい)し告白(こくはく)しつつ、この勝利(しょうり)をわたくしたちに満(み)たす主(しゅ)イエス・キリストが来(こ)られる日(ひ)を、主(しゅ)と共(とも)に待(ま)ち望(のぞ)んで参(まい)るのです。