2017年12月24日日曜日

「主があなたと共におられる」ルカによる福音書1:26-38

「わたしが神(かみ)を信(しん)じる」ということは、換言(かんげん)すれば、わたしが神(かみ)を信(しん)じるという道(みち)を神(かみ)が与(あた)えたと認(みと)め、この道(みち)をわたしに与えた神(かみ)の言葉(ことば)に繰(く)り返(かえ)し聴(き)きつつ、この身(み)に始(はじ)まったキリストのご支配(しはい)が全(まっと)うされる日(ひ)を待(ま)ち望(のぞ)むことです(道・真理・命、ヨハネ14:6)。わたしが神(かみ)を信(しん)じなければならないその理由(りゆう)は、この道(みち)をお与(あた)えになった神(かみ)から聴(き)かねばなりません。
マリアは、少(すこ)しも望(のぞ)んだことではありませんでしたが、自分(じぶん)が身(み)ごもって救(すく)い主(ぬし)イエス・キリストを産(う)む、とみ使(つか)いから聞(き)きます。神(かみ)さまはマリアに神(かみ)の子(こ)イエスを宿(やど)します。宿(やど)した母(はは)としての歩(あゆ)みが始(はじ)まります。なぜ自分(じぶん)に宿(やど)されたのか。その理由(りゆう)は、ヨセフに聞(き)いても父母(ちちはは)に聞(き)いても確(たし)かではありません。宿(やど)らせた神(かみ)から聴(き)かねばなりません。「お言葉(ことば)どおり、この身(み)に成(な)りますように」と口(くち)にしたマリアは、繰(く)り返(かえ)し、この身(み)に神(かみ)が語(かた)った言葉(ことば)に耳(みみ)を傾(かたむ)けます。
語(かた)られた神(かみ)の言葉(ことば)に聴(き)く歩(あゆ)みは、神(かみ)の子(こ)イエスを産(う)んだ後(のち)も続(つづ)き、事(こと)あるごとに問(と)い直(なお)させられます。この息子(むすこ)が十字架(じゅうじか)で死(し)なねばならなかった時(とき)も、復活(ふっかつ)させられ天(てん)に上(あ)げられた時(とき)も。そして、聖霊(せいれい)が降(くだ)り、いと高(たか)き方(かた)の力(ちから)に覆(おお)われた時(とき)(24:49、使徒言行録2:4)、ようやく知(し)りました。この子(こ)が神(かみ)の子(こ)であり主(しゅ)メシア・キリストであると。何(なに)かマリアだけが弟子(でし)たちより先(さき)に知(し)ったわけではありません。どの時(とき)も、神(かみ)が語(かた)った言葉(ことば)から改(あらた)めて受(う)け取(と)ることを求(もと)められました。
神(かみ)さまはわたくしたちに、神(かみ)を信(しん)じる道(みち)を与(あた)え、この道(みち)を主(しゅ)イエス・キリストが共(とも)に歩(あゆ)んでくださいます。神(かみ)さまが与(あた)える道(みち)は、死(し)を越(こ)えてこの身(み)を生(い)かす永遠(えいえん)の命(いのち)の道(みち)です。復活(ふっかつ)の主(しゅ)イエス・キリストがわたくしたちに伴(ともな)ってくださり、そのご支配(しはい)をこの身(み)に全(まっと)うしてくださいます。神(かみ)さまは十字架(じゅうじか)で死(し)んだ主イエスを復活(ふっかつ)させ、この身(み)に成(な)る神(かみ)の言葉(ことば)を語(かた)ってくださいました。この言葉(ことば)に繰(く)り返(変え)し聴(き)く礼拝(れいはい)こそ、わたくしたちの土台(どだい)です。