2017年11月5日日曜日

「神の喜びを知る幸い」ルカによる福音書10:21-24

(しゅ)イエスはヨルダン(がわ)上流(じょうりゅう)のガリラヤ地方(ちほう)活動(かつどう)しておられましたが、そこから一路(いちろ)(みやこ)エルサレムへと()かいます。(しゅ)イエスがエルサレムへと()かうのは十字架(じゅうじか)()()げるためです(9:22)。その(みち)すがらのこと、(しゅ)イエスは聖霊(せいれい)によって(よろこ)びにあふれ、(てん)(ちち)なる(かみ)さまを賛美(さんび)します。「天地(てんち)(しゅ)である(ちち)よ、あなたをほめたたえます」(21)。
天地(てんち)(しゅ)である(かみ)さまは、お(つく)りになった万物(ばんぶつ)をご(らん)になり「(きわ)めて()かった」と()(そそ)いでおられます(創世記1:31)。この眼差(まなざ)しがわたくしたち一人(ひとり)ひとりに(そそ)がれています。(かみ)さまはわたくしたちを()いものとしてお(つく)りになりました。たしかに、地上(ちじょう)(あゆ)みにおいてわたくしたちは(みずか)らの()けや(いた)らなさ、(かな)しみや(くる)しみを()います。これらに()ちのめされそうになることがあります。ときにわたくしたちは(かな)しみや(くる)しみの(なか)生涯(しょうがい)()えることさえあります。
それでもてんちちなるかみさまは、わたくしたちを「かった」とています。ならばかみさまはわたくしたちのかなしみやくるしみをらないのでしょうか。そうではありません。むしろそこにこそかみさまはご自身じしんよろこびをたしてくださいます。最後さいご最後さいごかみさまはわたくしたちをおつくりになったよろこびを、わたくしたちにまっとうしてくださるのです。わたくしたちがかなしみでわってしまったように見えても、ちちなるかみさまはご自身じしんよろこびをたすむかえさせてくださいます。
(かみ)さまは、ご自身(じしん)がそのようにわたくしたち一人(ひとり)ひとりを(あい)し、この()(すく)(かみ)であると(わたし)(しめ)すため、十字(じゅうじ)()()んだ御子(みこ)イエスを()から復活(ふっかつ)させました。(しゅ)イエスが十字架(じゅうじか)につけられる(とき)(おお)くの(もの)(なげ)(かな)しみました(23:27)。しかし()んだこの(かた)がそれで()わるのではなかったのです。(かみ)さまはこの御子(みこ)復活(ふっかつ)()げる礼拝(れいはい)により、わたくしたちを(すく)うという、ご自身(じしん)(よろこ)びにわたくしたちをも(あずか)らせてくださいます。