パウロは、「だれも自分を欺いてはなりません」と言います。わたくしたちは、偽りと知りつつそれをわざわざ信じ、それに自分を賭けようとは思いません。ただ、空虚と知りつつも他に慰めを見出せないなら、たとえその言葉に根拠がなくとも、寄りすがるということがあります。わたくしたちも自らの死を前に、自分を欺くということがあるかもしれません。
そのわたくしたちに、「自分を欺くな」とのパウロの言葉は厳しく聞こえます。平時でもわたくしたちは、「これだけのことをしてきたのだから」と何かしら過去の実績によって将来を決めつけることがあります。また一方で、「もう、どうせ駄目だ」と絶望することがあります。「これだけしかできなかった」、「あんなことをしてしまった」、と将来を閉ざす思いの内にふさぎ込んでしまいます。そのどちらについてもパウロは「あなたは自分を欺いてはならない」と警告します。
そうパウロが言うのは、この身がそうではない事実の内に置かれているからです。「すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」。主イエス・キリストこそ、わたくしたちを死から立ち上がらせることができるのであり、この方においてわたくしたちは一切を満たされ、今は不足と見えたとしても十全とされるのです。
この礎である主イエス・キリストを、神さまは死から復活させ現してくださいました。キリストはこの礎の上にわたくしたちを立たせてくださいます。わたくしたちはこのキリストのものです。このお方はわたくしたちを招き、今この身が立たされる礎を、礼拝によって深めて受け止めさせてくださいます。キリストが万事を益としてくださるので、わたくしたちは自らの死も生も、過去も将来も、この方の手に全てお委ねできるのです。