「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。主イエスはそう大声で叫び、神不在の死を遂げました。しかしこの死の後、地震が起こされ、岩岩は裂け、いくつもの墓の口が開きました。葬られていた聖なる者たちが復活させられ、エルサレムで多くの人にその身を現します。神殿の垂れ幕は上から下まで、真っ二つに裂けてしまいました。
主イエスの死に対し、主イエスの復活の光が、入り込んできています。主イエスは、三日目に死者の中から復活させられました。しかしもう、この主の復活から差し込む光が、主の死へと入り込んでいます。今やマタイによる福音書は告げます。「本当に、この人は神の子だった」。この方が、神不在の絶望の死を遂げてくださった。しかしもはや、この神の子の死によって、神不在の死はなくなった。この死へと、神は介入し、そこに神が共にいます宣言を響かせたからです。
主イエスはかねてより言っていました。「多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである(13:17)」。人々が見捨て、神に見捨てられ、ただ独り死んだと誰もが見た主イエスを、神は死者の中から復活させました。ここに、預言者たちや正しい人たちが見たかったものを見る、聞きたかったことを聞く時が与えられたのです。
もはや、わたくしたちの死に対し、主イエス・キリストは勝利してくださいました。神がおられない死を、主イエスがもう負い切ってくださったからです。この方の復活はその証拠として示されています。わたくしたちの死は、今や神が共にいます死であり、神の子の死によって、神が共におられるという、わたくしたちの新しい命が始まりました。神さまはわたくしたちにこの光を届け、この光の差し込む只中を歩ませておられるのです。