主イエスは、弟子たちに指示しておいたガリラヤの山で、復活させられたご自身を十一人に現わし、命じました。「すべての民をわたしの弟子にしなさい」。ですが、「弟子にしなさい」と命じられたこの十一人こそ、そうしていただく必要がありました。主イエスが捕らえられたとき、弟子たちは皆、主イエスを見捨てて逃げてしまったからです(26:56)。
主イエスを裏切り、しかしそれで立てる所もありませんでした。ですが、誰にも合わせる顔を持たない弟子たちを、主イエスは見捨てずなお受け入れます。この方がインマヌエル「神は我々と共にいます」お方だからです。死者の中から復活させられた主イエスは、ご自身に続く弟子として、この十一人を新たに立ち上がらせます。弟子たちは主イエスの言葉に従い、すべての民をインマヌエルの現実に与らせるため、神の国のご支配を宣べ伝える歩みを新た始めます。
主イエスの復活は、弟子たちが絶望から立ち上がらされた出来事ですから、それ自体、弟子たちにとってなお信頼に足るかどうかが深刻な問いとなります。疑い抱えつつ、しかしこの一点において、弟子たちはなお立ち上がらされます。それは絶望の中から外へと引き出される出来事となりました。何もかも失った弟子たちにとり、その身に神の国のご支配が満たされる始まりとなったのです。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と主イエスは言います。弟子たちにとってこれは、自分が神の前になおこれから立つ一切の根拠を、主イエスの復活に置くことに他なりません。その弟子たちの歩みを、復活の主が始めさせてくださいました。主は、疑いを抱えるわたくしたちをもこの知らせの前に導き、「神は我々と共にいます」現実に与らせてくださいます。主イエス・キリストの復活に続き、神の国のご支配が満ちる弟子として、わたくしたちを新たに立ち上がらせてくださるのです。