主イエスは、死者の中から復活させられた後、指示しておいた山で弟子たちに会い、いいました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。その主イエスが今どこにおられるのか、代々の教会は「全能の父なる神の右に坐したまへり」と告白します。ならば、「人の子が来る」と主イエスがいった「そのとき」まで、このわたしから離れておられるのか。
大きな災いに遭い、苦難に陥ると、「神はどこにいるのか」と問いたくなります。わたしを救う神がおられるしるしを求めます。しかし主イエスはいいます。「『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない」。「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる(12:39-40)」。主イエスは三日目に死者の中から復活させられました。
主イエスはご自身の十字架の死と死からの復活こそが、インマヌエル、神は我々と共におられる(1:23)しるしと見ます。実に、主イエスご自身、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫んで死にました。主イエスは神不在の死をその身に受け、十字架で死んでゆかれました。神の子でありながら十字架の苦しみから救われないまま、死んでゆかれたのです。しかしこの主イエスを神は三日目に死者の中から復活させました。
神さまは死んでしまった主イエスにまでなお臨み、このお方を復活させました。今やわたくしたちはキリストが克服した死を迎えます。神不在の死はこのお方が担い切ってくださいました。このお方を神が復活させたからには、もはや、わたくしたちは神不在の死を迎えるのではありません。わたくしたちが抱える死をも苦しみをも、神が共に担っておられます。わたくしたちを礼拝に招いてくださった神は、この事実に与らせてくださるのです。