夏は夏からやって来ます。春が夏をもたらす、というよりは、夏が夏から近づいてくるのです。同じようにして主イエスは言います。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。わたくしたちが生きる時代、生涯はいつか滅びます。人は死ぬことを免れ得ないからです。そのわたくしたちに主イエスは言います。「わたしの言葉は決して滅びない」。
「滅びる」と訳された言葉は「過ぎ去る」とも訳されます(26:39)。主イエスは、ご自身の言葉が決して過ぎ去ってはしまわない、つまりどこまでも意味を持つ、と言います。最後に勝ち残るのはこの神の言葉であるからです。滅びることのない神の言葉、過ぎ去ることのない神の言葉が、滅びてしまう、過ぎ去ってしまうわたくしたちに語られていることが幸いです。この言葉は、たとえわたくしたちが滅びても、過ぎ去っても、その支配が終わらないからです。
決して滅びない神の言葉、決して過ぎ去らない主イエスの言葉が、わたくしたち滅びゆく者に語られました。神さまは、十字架で死んでしまった主イエスを死者の中から復活させました。造り主なる神さまは、主イエスの復活において、決して滅びることのないご自身を現し、そのご支配を明らかにしてくださいました。神さまは主イエスを復活させることをもって、わたくしたちの死に勝利する、滅びない神の言葉を語ってくださったのです。この言葉は過ぎ去ることがありません。
滅びない神の言葉がわたくしたちへとやって来ました。滅びない神の国のご支配が、死んで終わってしまう世へと介入して来たのです。復活の主は、やがてこの方が再び到来するその日の先駆けとしてやって来ました。たとえ天地が過ぎ去っても、過ぎ去ることのないこの神の言葉によってすべてが満たされます。わたくしたちは礼拝においてこの神の言葉に聴き、とこしえに君臨してくださるわたくしたちの主の到来を待ち望むのです。