朝早く、主イエスは都エルサレムへと帰る道すがら、お腹が減ったのでいちじくの木に実があるか探しました。しかし、いちじくは葉が生い茂るばかりです。主イエスは言います。「今から後いつまでも、お前には実がならないように」。すると、いちじくの木はたちまち枯れてしまいました。
主イエスは弟子たちに言います。「あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」。
疑わず祈ればその通りになる。そう教える主イエスはわたくしたちに、そこで何を祈るのか問います。「実がならないように」と主イエスが言ったから、わたくしたちは「そうなるしかない」と祈るのでしょうか。ならば祈らずともそうなることでしょう。
主イエスはこう祈るよう命じました。「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください(6:13)」。わたくしたちは「父よ、この惨めな私を見捨てず、絶望からお救いください」と祈るのです。その道を主イエスが備えてくださいました。
わたくしたちは「祈っても無駄だったからもう祈らない」のではありません。わたくしたちの叫びを聞く天の父がいるのです。わたくしたちが神を見限ったとしても、しかし神はわたくしたちを見捨てません。神に見捨てられ絶望のうちに十字架で死んだ主イエスを、神さまは復活させました。この神さまがわたくしたちの絶望を越える、希望の道をそなえておられます。この父なる神に、わたくしたちはなお叫び求めることができるのです。