天の父なる神さまは御子キリストを土台として神の国を建てます。この神の国に生かされるべく、神さまはわたくしたちの名を呼び、キリストの体なる教会へと招きます。御父は御言葉と御霊とによって御子のご支配をわたくしたちに満たします。わたくしたちはキリストを土台とする道を備えられており、このご支配のもと、死から命へと生かされるのです。
主イエスは言います。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった(詩編118:22)」。親石は石造りの家を建てる要として欠かせません。建物全体に、この親石の働きが効いています。ただ、神さまは人々が捨てた石を親石として据え、御国を建てる。主イエスはここにご自身の十字架の死を見ます。家を建てる者たちが捨てた石。しかし神さまはそれによって神の国を建てる。十字架で死んだ主イエスを神さまは復活させ、この方を隅の親石としてくださいました。
教会へと招かれたわたくしたちは、自分でそこを選んで立つのかもしれません。ですが、自分の名を呼ぶ神さまに応えてひれ伏し、主イエス・キリストのもとに立たされるのが幸いです。もし、わたくしたちが自分で選んで立つというのなら、選んだ自分の考えこそが要であり、その支配が及ぶことを第一としてしまいかねません。それでは神の国は成り立ちません。単に自分の都合の良い集団としてしまい、死を越えて生きることにはならないでありましょう。
この自分の名を呼んでくださった神のご支配が満ちることにこそ、死をも打ち破る平安があります。そして神さまは主イエスの復活によって現した神のご支配を満たすため教会を建てます。そこで教会が主イエス・キリストのご支配を捨てるなら、神さまは別のところに、ご支配が満ちる教会をお建てになります。わたくしたちは、この名を呼んでくださった神に聴き、据えられた親石のもとに立ち上がらされることを希望とするのです。