「創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」。主イエスは結婚を祝福する一方、「天の国のために結婚しない者もいる」と言います。
自分がそうだとは、自分が神から聞くほかありません。むしろいずれも、永遠の命に生かす神の祝福に与るよう、主イエスは十字架へと進みます。
この十字架への道は、主イエスがなお天の父に結ばれた神の子であるかを問われる、裁きの道です。人々は十字架の主イエスを試みます。「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」。人々は主イエスを神から引き離そうとするのです。その試みは、主イエスが十字架で死んだことで、人々の思惑通りとなったと見ることができます。
しかしこの方が、死者の中から復活させられました。神さまはこの復活を通し、天の父であるご自身が御子イエスと一体不可分であり、十字架の死をもってすら引き離されえないものであることを、証したのです。
この、死を超えて結ばれた神との命の交わり、死さえも断ち切れない神との交わりに、わたくしたちが与るべく、主イエスはご自身の復活をわたくしたちに告げ知らせます。主イエスはわたくしたちにも天の国の扉を開き、ご自身の御父と御子との一体の交わりに与らせてくださるのです。
この神との関係は、人間の知恵や力や働きによっては、結ばれることはありません。神が結んだものです。「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」。人によって結ばれえないものを、人が離すことはできません。この眼差しをもって、主イエスは十字架へと進んで行きます。そこで語られる神の言葉を聞くため、主イエスはわたくしたちを伴ってこの道を進みます。