2016年7月24日日曜日

「太陽のように輝くため」マタイによる福音書 13:24-43

畑(はたけ)の麦(むぎ)の間(あいだ)に毒麦(どくむぎ)が現(あらわ)れたのを見(み)た僕(しもべ)たちは、抜(ぬ)き取(と)りに行(い)くことを主人(しゅじん)に申(もう)し出(で)ます。しかし主人(しゅじん)は言(い)います。「毒麦(どくむぎ)を集(あつ)めるとき、麦(むぎ)まで一緒(いっしょ)に抜(ぬ)くかもしれない。刈(か)り入(い)れまで、両方(りょうほう)とも育(そだ)つままにしておきなさい。刈(か)り入(い)れの時(とき)、『まず毒麦(どくむぎ)を集(あつ)め、焼(や)くために束(たば)にし、麦(むぎ)の方(ほう)は集(あつ)めて倉(くら)に入れなさい』と、刈(か)り取(と)る者(もの)に言(い)いつけよう」。
わたくしたちは死(し)に至(いた)る病(やまい)を患(わずら)うことがあります。病巣(びょうそう)が自分(じぶん)の体(からだ)中(じゅう)に広(ひろ)がり、病巣(びょうそう)を取(と)り除(のぞ)くとすれば、それにより命(いのち)をも絶(た)ちかねない、深刻(しんこく)な病(やまい)を患(わずら)うことがあります。つまり、わたくしたちは、病気(びょうき)などなくて済(す)ませられるのならそうしたいのですが、その病巣(びょうそう)がわたくしたちの命(いのち)を左右(さゆう)するところにまで及(およ)んでいるため、もはや取(と)り除(のぞ)けない、ということがあります。そのような同胞(はらから)を前(まえ)にして、わたくしたちは立ちすくんでしまいます。
たとえこの世(よ)の悪(あく)がすべて取(と)り除(のぞ)かれたとしても、この身(み)に存在(そんざい)する、毒麦(どくむぎ)が取(と)り除(のぞ)かれることこそ、わたくしたちには必要(ひつよう)です。

わたくしたちは死(し)ぬことによって何(なに)か単(たん)に苦(くる)しみから解(と)かれ、無(む)に帰(き)して終(お)わりではありません。十字架(じゅうじか)で死(し)んだ主(しゅ)イエスを神(かみ)さまは復活(ふっかつ)させました。この主(しゅ)イエスがわたくしたちを全(すべ)ての支配(しはい)から解(と)き、終(お)わることのない喜(よろこ)びへと立(た)ち上(あ)がらせてくださいます。たとえ苦(くる)しみが覆(おお)い尽(つ)くしても、それによって死(し)ななくてはならなかったとしても、このわたしと父(ちち)なる神(かみ)との関係(かんけい)が失(うしな)われることはありません。主(しゅ)イエスの復活(ふっかつ)はそのことを証(あかし)します。主(しゅ)イエスは言(い)います。「正(ただ)しい人々(ひとびと)はその父(ちち)の国(くに)で太陽(たいよう)のように輝(かがや)く」。主(しゅ)イエスはわたくしたち一人(ひとり)ひとりを天(てん)の父(ちち)なる神(かみ)さまの前(まえ)で輝(かがや)かせてくださいます。父(ちち)なる神(かみ)はわたくしたちのために希望(きぼう)を据(す)えたのであり、御子(みこ)イエスによって証(あかし)したこの希望(きぼう)へとむかって、聖霊(せいれい)によって導(みちび)いてくださるのです。