2016年7月3日日曜日

「届けられた神の声」マタイによる福音書 12:38-42

しゅイエスは、しるしをせてくれるようもとめたものたちにかっています。「預言者よげんしゃヨナのしるしのほかには、しるしはあたえられない」。あたえられるとすれば、ヨナのしるしのみである。そして、ヨナのしるしがあたえられる。それがわたくしたちにまでとどけられている、としゅイエスはご自身じしん十字架じゅうじかからの復活ふっかつしめし、ヨナになぞらえています。「つまり、ヨナが三日三晩みっかみばん大魚たいぎょはらなかにいたように、ひと三日三晩みっかみばん大地だいちなかにいることになる」。
天地創造(てんちそうぞう)(かみ)が、十字架(じゅうじか)()んで(ほうむ)られた(しゅ)イエスを、三日目(みっかめ)死者(ししゃ)(なか)から復活(ふっかつ)させました。天地創造(てんちそうぞう)(かみ)にしかなし()ないこの(はたら)きをもって、(かみ)さまはわたくしたちに(かみ)(こえ)(とど)けておられます。(しゅ)イエスの復活(ふっかつ)()()らせることによって(とど)けておられます。(かみ)さまは、わたくしたちをも(しゅ)イエスに(したが)わせ、()()えて永遠(えいえん)(いのち)()かしたいのです。
そこで、この()すべきわたくしたちを(つみ)から(すく)い、ご自分(じぶん)(たみ)とする(かみ)言葉(ことば)永遠(えいえん)(いのち)()かす(かみ)(こえ)が、(とど)けられていることをしっかりと()()める必要(ひつよう)があります。というのも、それ以上(いじょう)のしるしはない、と(しゅ)イエスははっきり()うからです。
これがわたくしたちにとって(さいわ)いですのは、(ほか)にもうしるしを(もと)めなくて()いからです。(しん)じないわたくしたち、(うたが)(はじ)めたわたくしたちは、どこまでもしるしを(もと)めます。()()りず()たされません。そこに安住(あんじゅう)はないのです。わたくしたちは、(あた)えられたヨナのしるし以上(いじょう)のしるしを(もと)めることから、一旦(いったん)()なねばなりません。
しかしそのわたくしたちの()を、(しゅ)イエスこそが、十字架(じゅうじか)()ってくださいます。そして、このわたくしたちのため、(しゅ)イエスは死者(ししゃ)(なか)から復活(ふっかつ)させられたのです。わたくしたちは、(てん)()創造(そうぞう)(かみ)がこの(しゅ)イエスを復活(ふっかつ)させた事実(じじつ)へと、(みずか)らの(すべ)てを()りかからせて()いのです。この()(さき)に、永遠(えいえん)(いのち)(そな)えられているからです。