天地の造り主なる神さまは、十字架で死んだ主イエスを死者の中から復活させました。ここに神さまは、死んだ者を永遠の命へと復活させる、メシア・キリストによるご支配を始め、この支配を及ぼしてゆく時代を始めます。神さまはわたくしたちへと御子イエスの復活を告げ知らせ、聖霊によって復活の主イエスと共に生きる時代をわたくしたちに始めます。
もしわたくしたちと関わりなく主イエスが復活させられたなら、主イエスが十字架で死んだのも、死から復活したのも、「そういう人がいたらしい」、というばかりです。ですが、死んだわたくしたちがこの方によって復活させられるべく、神さまは主イエスを死者の中から復活させたのです。主の復活によって語ったこの神の言葉を神の言葉として認めるか。主イエスはわたくしたちに問います。「何を見にあなた方は来たのか。何を期待してあなた方は来たのか」。
自分が信じるため、誰かが自分を説得してくれる、背中を押してくれるのを期待することがあります。そのような姿勢を、主イエスは問います。「あなたは何を見に行ったのか」。主はわたくしたちがこの身を献げることを問うているのです。この身を死から生かす、永遠の命へと新たに生かす主への姿勢を問うのです。このお方は、わたくしたちのこの身のために、十字架の死において命をかけました。その主が、「どこに命をかけて立つのか」とわたくしたちに問います。
わたくしたちには命をかけてわたくしたちを愛する神との、一対一の関係を与えられています。この主との関係は死を前にして、そして死を越えてなおわたくしたちに据えられています。主イエスの復活を根拠としたこの希望、新しい生への創造に与らせる、わたくしたちの造り主なる神がおられます。この方の与える命、注がれます聖霊によって、わたくしたちは希望へと向かってこの身をお献げして歩むのです。