主イエスは言います。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」。わたくしたちにとって家族は切っても切れない、何よりも近い関係にあります。しかし主イエスはここで、主との交わりこそが第一と見ます。この主との関係へと、わたくしたちが自分を捨てて従うよう求めます。
とはいえ主イエスは、わたくしたちが家族に対する責任を捨てて主に従うことを求めません。「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」。わたくしたちは自分自身という十字架、自分の家族という十字架を担って主イエスに従うのです。主イエスはわたくしたちの家族を、主にあって死を越えて一つという希望へと向かわせます。
そこで主イエスは言います。「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」。家族は、わたくしたちにとって他の何よりも第一です。けれどもそのような関係は、死を越えません。いくら想いを馳せても、死を越えて交わるということはありません。ところが、主にあって死んだわたくしたちは主にあって家族と死を越えて交わるのです。この希望を、天の父なる神さまは、御子を遣わして、わたくしたちに証しします。
わたくしたちの造り主である神さまは、十字架で死んだ主イエスを死者の中から復活させることをもって、この天の父が、死を越えて御子イエスと一体であることを証しました。わたくしたちと造り主なる神との関係は、何よりも近く、死を越えてわたくしたちと不可分であることを証してくださったのです。この造り主なる神がわたくしたちの天の父として、わたくしたちをも死から命へと生かします。復活の主は、わたくしたちのところへ来て従わせ、わたくしたちの家族をも死を越えて神の御前に立ち上がらせ、一つとしてくださるのです。