ヨハネの黙示録は、ヨハネが見たいくつもの幻を書き記すことにより、来るべき日のためわたくしたちが備えるよう求めます。この来るべき日は世界の終わりとも、自分の生涯の終わりとも、受け取ることができます。いずれにせよ、最後の最後に「あなたは何を信じるのか」と、自らの信仰を突き詰めて問われる日が来る。この、来るべき日のため、ヨハネは、全能者である神と、屠られた小羊イエス・キリストに対する信仰をなお守り続けるよう求めます(14:12)。
第15章と16章は、ひと続きの幻ですがこの幻において屠られた小羊である主イエス・キリストは、表には出ません。ただ一箇所、「わたしは」と一人称で語りかける主イエス・キリストの声が、響きます。「見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである(16:15)」。
主イエスは、ご自身がわたくしたちのところへやって来る、と約束します。恥をかくのは、屠られた小羊の血によって贖われたにもかかわらず、そうでないかのようにしている、わたくしたちの姿が露わになるからです。わたくしたちのこの身に、最後の最後、主イエス・キリストのご支配が全うされます。何ものからも、死の支配からも、主イエスのご支配によって解かれることになる。この方を一心に信頼し、主イエスが来る、来るべきその日を待ち望むよう、主は命じるのです。
わたくしたちが死を前にひれ伏す相手は、この死をも支配する全能の神と、わたくしたちの死に勝利するイエス・キリストです。わたくしたちは死を免れえません。しかしわたくしたちの命の造り主である全能の神は、わたくしたちをご自身の前に立たせてくださいます。この御方が十字架で死んだ御子イエスを死から復活させました。この御子の血によって神はわたくしたちを贖い、わたくしたちをも死から復活させてくださるのです。