主イエスは中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言いました。命じられたこの人は、起き上がって家へと帰ります。これを見た群衆は「人間にこれほどの権威をゆだねられた神」がここにおられると知り、神を崇めます。
ただ、この群衆はのちに主イエスを十字架につけろ、と総督ピラトに訴えます(27:22)。主イエスに対し「これほどの権威をゆだねられた神」を知っても、なお、神を知る必要が群衆にありました。というのも、神さまは、この十字架で死んだ主イエスを復活させたからです。神さまとは、何か一度知ったからそれでもう全て知ったと言えるものではありません。群衆は自分たちなりに神を知っていたでしょうが、神さまが十字架で死んだイエスを復活させるなど、思いもしませんし、知りませんでした。この復活によって、神さまを知る必要が、群衆にはあったのです。
神は主イエスを十字架の死から復活させ、この方が地上で罪を赦す権威を持つことを明らかにしました。主イエスの十字架の死は、神に見捨てられた者としての死でした(27:46)。神から最も引き離された者として、主イエスは十字架で死んで行ったのです。このイエスが、死者の中から復活させられました。罪の結果として人は死なねばなませんが主イエスの死からの復活は、罪からの解放であり、そうする神さまの業そのものの現れです。この復活させられた当人だからこそ、主イエスは「神はあなたの罪を赦す。あなたの罪は赦される」と宣言できるのです。
実に主イエスは、神さまとの関係を損なうことはありませんでした。それゆえこの方は、すべての人の罪のため十字架を負って死にました。神さまは主イエスを復活させましたが、主イエスが復活させられたご自身を弟子たちに現わしたのは、代理して負った罪からの回復を、代理した者たちへと届けるためであったのです。