天地を造られた神さまは、十字架で死んで葬られた主イエスを、死者の中から復活させました。復活させることにおいて、神の言葉を語ってくださいました。造り主なる神からの言葉として、主イエスを死から復活させてくださいました。神さまは、わたくしたちの命を造ったご自身にしかなせない業をもって、権威ある神のひと言を語ってくださったのです。
このひと言を、天からのものと認めるか、そもそも復活を認めるか。東から西から、大勢の異邦人が、主イエスの復活を告げ知らされ、これを神の業と信じました。礼拝する民の一員として、永遠の命に与る道を歩み始めました。その家に主イエスをお迎えできるような者ではなかった異邦人、ふさわしくないと自らみなす他なかったそのところにまで、神さまは主イエスによって神のひと言を与え、死んだ者にさえ支配を及ぼす神のひと言を希望として据えてくださいました。
わたくしたちはそれぞれに信仰を与えられ、聖書を読んだり祈ったりします。ただ、それが自分から出た考えや思いにすぎないのではなく、まことに神さまから、この自分へと与えられた信仰だと知る必要があります。たしかに、自分で自分の信仰を納得したらそれでよいのかもしれません。ですが、どうしようもない病や、逆らい得ない死に直面したなら、自分の言葉で自分を納得させることなど、しきれないでしょう。やはり、神からこの身に語られた、神のひと言がこの身にも必要だったのではないでしょうか。
わたくしたちが神のひと言を新たに聞き、「主よ、父よ」と叫び求めるのを、天の父なる神さまは待っておられます。それはわたくしたちが主イエスの僕となることです。主イエスの十字架の死と死からの復活において神の言葉を聞き、神のひと言がそこから新たにこの身へと語り掛けられるのを待ち望むことです。神を礼拝する民の一員であることを、神さまはわたくしたちに求めておられるのです。