「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」。そう言った主イエスが語るたとえの中に、からし種のたとえがあります。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる(13:31)」。天の国は主イエスが王さまとして支配する国、力の及ぶところですが、それがからし種に似ていると言います。小さな種粒が、どんな野菜よりも大きくなり、ついには「空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」。からし種が空の鳥に巣を提供するというのです。つまり人の子イエスは枕する所を持ちませんが、この方は空の鳥が安堵して休まるための巣を提供する。
これは「空の鳥をよく見なさい」と言った主イエスの教えに通じます(6:26)。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」。ここでは鳥を養っているのは、天の父なる神さまですが、その天の父なる神さまこそが、わたくしたちを養うため、主イエス・キリストを与え、この方において安堵する宿り場を、提供しておられるのです。
「人の子には枕する所もない」。そう言ってわたくしたちに仕える主イエスが枕する所、それは天の父なる神さまの右の座でした。十字架で死んだ主イエスを神さまは復活させてくださいました。この主イエスが人の子としてやがて終わりの日にやってきます。その日には、とこしえの王として主イエスこそがわたくしたちに仕え死を滅ぼし、神の御前に得る命に生かしてくださいます。どこまでも、とこしえに、主が共におられる命に生かします。主イエスは、わたくしたちへと仕えています御自身に、わたくしたちを従わせるのです。