2016年2月21日日曜日

「どこまでも救い主が共に」マタイによる福音書8:18-22


「狐(きつね)には穴(あな)があり、空(そら)の鳥(とり)には巣(す)がある。だが、人(ひと)の子(こ)には枕(まくら)する所(ところ)もない」。そう言(い)った主(しゅ)イエスが語(かた)るたとえの中(なか)に、からし種(だね)のたとえがあります。「天(てん)の国(くに)はからし種(だね)に似(に)ている。人(ひと)がこれを取(と)って畑(はたけ)に蒔(ま)けば、どんな種(たね)よりも小(ちい)さいのに、成長(せいちょう)するとどの野菜(やさい)よりも大(おお)きくなり、空(そら)の鳥(とり)が来(き)て枝(えだ)に巣(す)を作(つく)るほどの木(き)になる(13:31)」。天(てん)の国(くに)は主(しゅ)イエスが王(おう)さまとして支配(しはい)する国(くに)、力(ちから)の及(およ)ぶところですが、それがからし種(だね)に似(に)ていると言(い)います。小(ちい)さな種粒(たねつぶ)が、どんな野菜(やさい)よりも大(おお)きくなり、ついには「空(そら)の鳥(とり)が来(き)て枝(えだ)に巣(す)を作(つく)るほどの木(き)になる」。からし種(だね)が空(そら)の鳥(とり)に巣(す)を提供(ていきょう)するというのです。つまり人(ひと)の子(こ)イエスは枕(まくら)する所(ところ)を持(も)ちませんが、この方(かた)は空(そら)の鳥(とり)が安堵(あんど)して休(やす)まるための巣(す)を提供(ていきょう)する。
これは「空(そら)の鳥(とり)をよく見(み)なさい」と言(い)った主(しゅ)イエスの教(おし)えに通(つう)じます(6:26)。「空(そら)の鳥(とり)をよく見(み)なさい。種(たね)も蒔(ま)かず、刈(か)り入(い)れもせず、倉(くら)に納(おさ)めもしない。だが、あなたがたの天(てん)の父(ちち)は鳥(とり)を養(やしな)ってくださる。あなたがたは、鳥(とり)よりも価値(かち)あるものではないか」。ここでは鳥(とり)を養(やしな)っているのは、天(てん)の父(ちち)なる神(かみ)さまですが、その天(てん)の父(ちち)なる神(かみ)さまこそが、わたくしたちを養(やしな)うため、主(しゅ)イエス・キリストを与(あた)え、この方(かた)において安堵(あんど)する宿(やど)り場(ば)を、提供(ていきょう)しておられるのです。
「人(ひと)の子(こ)には枕(まくら)する所(ところ)もない」。そう言(い)ってわたくしたちに仕(つか)える主(しゅ)イエスが枕(まくら)する所(ところ)、それは天(てん)の父(ちち)なる神(かみ)さまの右(みぎ)の座(ざ)でした。十字架(じゅうじか)で死(し)んだ主(しゅ)イエスを神(かみ)さまは復活(ふっかつ)させてくださいました。この主(しゅ)イエスが人(ひと)の子(こ)としてやがて終(お)わりの日(ひ)にやってきます。その日(ひ)には、とこしえの王(おう)として主(しゅ)イエスこそがわたくしたちに仕え死(し)を滅(ほろ)ぼし、神(かみ)の御前(みまえ)に得(え)る命(いのち)に生(い)かしてくださいます。どこまでも、とこしえに、主(しゅ)が共(とも)におられる命(いのち)に生(い)かします。主(しゅ)イエスは、わたくしたちへと仕(つか)えています御自身(ごじしん)に、わたくしたちを従(したが)わせるのです。