わたくしたちは、わたくしたちが信じ告白する主イエス・キリストから声を聞こうとするとき、神さまがそこで何を語るのを期待するでしょうか。自分の心をいやしてくれる優しい言葉でしょうか。自分を助けてくれる、困った問題を解決する言葉でしょうか。そういう言葉をわたくしたちが求め、また主イエスから聞き取ることもあるでしょう。
死んだように倒れたヨハネに主イエスは臨み、言いました。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている」。主イエスは聖霊によってわたくしたちに臨み、ご自身がわたくしたちの主として、死から復活させられたことを語りかけます。また、十字架の死を遂げてわたくしたちの贖いを果たしたことを主イエスは告げ、わたくしたちを立ち上がらせます。
逆から見ますと、わたくしたちが主イエスを信じ、「この方が死から復活させられ、わたくしたちのため十字架で死に、贖いを果たされた」と信じるとすればそれは、そのわたくしたちへと主イエスが臨み、ご自身を証ししてくださった果実です。たとえわたくしたちがそうは見なさなかったとしても。なぜなら、聖霊によらなければ、誰も神を信じ始めることができず、主イエスの十字架の死も死からの復活も、この身と関わりがまだなかったはずだからです(一コリント十二・三)。
主の日、主イエスの復活の日、神さまはわたくしたちを礼拝に招き、主イエス・キリストを告げ知らせます。その時わたくしたちは何を聞こうというのでしょうか。主イエスは、ご自身がどなたであるのか、わたくしたちに語ります。御前に死んだわたくしたちを立ち上がらせる方として、ご自身を語ります。この方がわたくしたちの最初として死者の中から復活させられ、今も生き、世々にわたくしたちを支配する全能者であるのです。