主イエスは言います。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」。これは天の父なる神さまの大いなる眼差しです。天の父なる神さまが、万物を支配し、わたくしたちの思いをこえ、万事を益としてくださる。その眼差しへと主イエスはわたくしたちを引き上げます。
ただ、神さまが万事を益とするからといって、「自分たちは何でもやって良い」、という訳ではありません。それでは神さまを信頼したことにはなりません。
一方、「もうわたくしたちが何をしても無駄だ、しなくても良い」、という訳でもありません。主イエスは言います。「求める者には与えなさい(42)」と。それは父なる神さまがそうだからです。ですから、わたくしたちも天の父なる神さまに全幅の信頼をもって求めるよう主イエスは言います。この父なる神さまこそ、この御方に抗ってやまないわたくしたちを、なお愛し抜く御方であるからです。
実に、天の父なる神さまは、神さまに反抗するわたくしたちに対し、復讐せず、刃向かうことをしませんでした。むしろ、十字架の死へと神の子イエスを差し出すまでして、わたくしたちと共にいて、わたくしたちを愛することを止められなかったのです。主イエスは後にご自身を指して言います。「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た(20:28)」と。求める者に与え、わたくしたちを神の子として永遠の命を生かす、わたくしたちの父なる神さまがおられるのです。その神さまが、わたくしたちの永遠の父であることを、十字架で死んだ主イエスを復活させることによって、わたくしたちに宣言してくださいました。
なおわたくしたちは完全ではありません。しかし主イエスはそこへと向かう者として、わたくしたちを先んじて召し出しておられるのです。