あなたの目が、姦通の罪を犯させるなら、その目をえぐり出して捨てなさい。手がそうさせるなら、その手を切り取って捨てなさい。主イエスはそう言います。何も、実際にそうやって神の前に立て、というのではありません。そのように自分を切り捨てても、同じことはなおこの身に起こります。
躓きを避けられない、自らの罪をどうにも出来ないわたくしたちです。しかしこの身をなお、主イエスによって神の前に立たせるため、主イエスはわたくしたちの元に来て下さいました。主イエスは死者の中から復活させられました。その主イエスが、十字架の死を示し、「わたしの流した血によってあなたの罪は赦された」と宣言しておられます(26:28)。この贖いの血に、わたくしたちも死んでなお与らせて頂けるのです。ただ主イエスによって、わたくしたちも神の子とする契約に入らせられる。死んでなおここから始まる命を、神さまはわたくしたちに備えて下さいました。