「まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい」そう主イエスは言います。たしかに、兄弟や隣人他者との問題を全て解決し、清廉潔白な身で神さまの前に立つことを願います。ただ、そのような相手と簡単に和解できるとは思えません。わたくしたちは他者との関係において、そのようなすっきりとした答えを相手から得るのは困難に思います。むしろその関係において立ち尽くしているのではないでしょうか。その中でわたくしたちは神さまを礼拝しています。それは主イエスの教えと反することかもしれません。しかしわたくしたちは、そうせざるを得ない。それは主イエス・キリストこそが、このわたくしたちのどうにもできないでいる兄弟との関係を解決へと導いてくださると信じるからです。
この主イエスは、上から支えるのではありません。
わたくしたちはと言えば仲裁なら、仲直りすべき相手と自分よりも大きな力を持つの人に、執り成しを求めます。たとえば、同僚との関係なら先輩や上司にお願いするようにです。そこでは、上からの執り成しを求めていると言えます。またそこで期待するのは、互いの良い点を認めあって仲裁が成り立つことです。
主イエスは下からわたくしたちを支えておられます。主イエスは神の子でありながら、死すべき人となってくださいました。主イエスは十字架の死をもって、死すべきわたくしたちの死に仕えてくださったのです。腹立たしい、ばかで愚かと思えるこの自分の底辺にまでへりくだってくださり、「そのあなたは良い」と御覧になっている。それは、ご自身によって神さまの前に立たされるべきわたくしたちが、この自分の底辺にいるからです。主イエスはわたくしたちを下から支え、神さまに対し執り成しておられる。神さまは死すべき者を、わたくしたちが心で殺したままにしておかれないのです。