「すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない」。わたくしたちが生きるにも死ぬにも、死を前にしても、神さまはご自身の前に義を問われる、と主イエスは言います。
死を前に神との真剣な対話が求められます。こちらも神さまに問い、神さまの義を求めます。なぜこうしてわたしは死ぬのか。何のためこの不自由が続くのか。この命を造った神、生死を支配する神の正しさを求めます。
そこでなお、この身を神が祝福し、神が祝福の道をなお備える事実を受け止められるなら幸いです。ただわたくしたちは、それほど強い心でいられない。わたくしたちを祝福する神に対し、見る目を閉ざしてしまうことがないとはとても言えません。そのわたくしたちが、主は共におられる、と知ることは、何としても必要です。そのわたくしたちのところに、主イエス・キリストが来たのですから。
わたくしたちの主が、十字架の死において、わたくしたちにはなし得ない、神に対する義を果たしてくださいました。神さまは主イエスを死者の中から復活させて、この方の、十字架で献げた命が、「律法学者やファリサイ派の人々の義にまさる」ものであることを、証明してくださいました。この主イエス・キリストが、死を前に行き場を彷徨うわたくしたちの、まことの主として、わたくしたちのところに来ました。この身に、主イエスが果たしてくださった義が満たされるためにです。ご自身によって天の国に入らせ、ご自身によって律法と預言者、聖書の教えをわたくしたちのこの身に満たし完成してくださいます。わたくしたちのところにやって来たこの主イエス・キリストに、ただ信頼することこそ、天の国に入る道です。主イエス・キリストは来られました。天の国はこの方においてやって来ました。わたくしたちのまことの主によって、わたくしたちも、天の国へと入らせられるのです。