2015年9月20日日曜日

「あなたの光が輝くため」マタイによる福音書 5:13-16


「あなたがたの光(ひかり)を人々(ひとびと)の前(まえ)に輝(かがや)かしなさい」と主(しゅ)イエスは言(い)います。神(かみ)さまは主(しゅ)イエス・キリストを与(あた)え、わたくしたちの命(いのち)に光(ひかり)を灯(とも)してくださいました。この光(ひかり)は自分(じぶん)で灯(とも)したのではありません。すぐ消(け)すために火(ひ)をつけたのではありません。主(しゅ)イエスによって神(かみ)さまの前(まえ)に永遠(えいえん)に生(い)きる命(いのち)をわたくしたちは頂(いただ)いたのです。その命(いのち)の輝(かがや)きをそのまま輝(かがや)かすことを主(しゅ)イエスは求(もと)めます。
換言(かんげん)すれば、神(かみ)さまは御自身(ごじしん)を映(うつ)し出(だ)す鏡(かがみ)として、わたくしたちに命(いのち)を与えてくださいました。神(かみ)さまの光(ひかり)を浴(あ)びて、その輝(かがや)きを映(うつ)し出(だ)す鏡(かがみ)として、主(しゅ)イエスは神(かみ)さまの前(まえ)にわたくしたちを立(た)たせます。鏡(かがみ)ですから、相手(あいて)の方(ほう)を向(む)いてこそ、正(ただ)しく映(うつ)し出(だ)すことが出来(でき)ます。神(かみ)さまが輝(かがや)いておられるのを、鏡(かがみ)であるわたくしたちが映(うつ)し出(だ)すのであり、神(かみ)さまがともし火(び)をわたくしたちに灯(とも)してくださるから、わたくしたちは輝(かがや)くのです。
ならば、人々(ひとびと)に対(たい)する輝(かがや)きは、神(かみ)さまに対(たい)して放(はな)つ輝(かがや)きと異(こと)なるものではありません。神(かみ)さまの前(まえ)に輝(かがや)くことなく、人々(ひとびと)の前(まえ)に輝(かがや)くことなど、出来(でき)るでしょうか。むしろ神(かみ)さまの前(まえ)に主(しゅ)イエスがわたくしたちを立(た)たせておられるので、その輝(かがや)きが人々(ひとびと)の前(まえ)へと映(うつ)し出(だ)されるのです。
まず、神(かみ)さまの前(まえ)に塩味(しおあじ)のある塩(しお)として立(た)たされ、輝(かがや)きを放(はな)つ者(もの)として立(た)たされる。それが、わたくしたちが招(まね)かれる礼拝(れいはい)です。主(しゅ)イエスは礼拝(れいはい)においてご自身(じしん)の復活(ふっかつ)をわたくしたちに証(あか)しし、わたくしたちがこの方(かた)によって神(かみ)さまに買(か)い戻(もど)されたことを告(つ)げ知(し)らせ、「あなたがたは地(ち)の塩(しお)である」「あなたがたは世(よ)の光(ひかり)である」と宣言(せんげん)しておられます。
これは、地上(ちじょう)で元気(げんき)なうちだけ言(い)われるのではありません。何(なに)も出来(でき)なくなってしまったその時(とき)にも主(しゅ)イエスによって語(かた)り掛(か)けられています。何(なに)か出来(でき)るわけではないこの身(み)を、天(てん)の父(ちち)なる神(かみ)さまの前(まえ)に立(た)たせる主(しゅ)イエス・キリストが、わたくしたちと共(とも)にいます。わたくしたちは真心(まごころ)をもってこの方(かた)を信頼(しんらい)し、地(ち)の塩(しお)、世(よ)の光(ひかり)として立(た)ててくださる主(しゅ)イエスへと、この身(み)をお献(ささ)げしてまいるのです。