「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と主イエスは言います。神さまは主イエス・キリストを与え、わたくしたちの命に光を灯してくださいました。この光は自分で灯したのではありません。すぐ消すために火をつけたのではありません。主イエスによって神さまの前に永遠に生きる命をわたくしたちは頂いたのです。その命の輝きをそのまま輝かすことを主イエスは求めます。
換言すれば、神さまは御自身を映し出す鏡として、わたくしたちに命を与えてくださいました。神さまの光を浴びて、その輝きを映し出す鏡として、主イエスは神さまの前にわたくしたちを立たせます。鏡ですから、相手の方を向いてこそ、正しく映し出すことが出来ます。神さまが輝いておられるのを、鏡であるわたくしたちが映し出すのであり、神さまがともし火をわたくしたちに灯してくださるから、わたくしたちは輝くのです。
ならば、人々に対する輝きは、神さまに対して放つ輝きと異なるものではありません。神さまの前に輝くことなく、人々の前に輝くことなど、出来るでしょうか。むしろ神さまの前に主イエスがわたくしたちを立たせておられるので、その輝きが人々の前へと映し出されるのです。
まず、神さまの前に塩味のある塩として立たされ、輝きを放つ者として立たされる。それが、わたくしたちが招かれる礼拝です。主イエスは礼拝においてご自身の復活をわたくしたちに証しし、わたくしたちがこの方によって神さまに買い戻されたことを告げ知らせ、「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」と宣言しておられます。
これは、地上で元気なうちだけ言われるのではありません。何も出来なくなってしまったその時にも主イエスによって語り掛けられています。何か出来るわけではないこの身を、天の父なる神さまの前に立たせる主イエス・キリストが、わたくしたちと共にいます。わたくしたちは真心をもってこの方を信頼し、地の塩、世の光として立ててくださる主イエスへと、この身をお献げしてまいるのです。