2015年7月5日日曜日

「十字架の栄光」ヨハネによる福音書 19:31-42



主(しゅ)イエスが十字架(じゅうじか)の上(うえ)で息(いき)を引(ひ)き取(と)られました。このとき、主(しゅ)イエスの十字架(じゅうじか)の死(し)によって、神(かみ)さまを信(しん)じ、神(かみ)さまへと自(みずか)らをおささげする者(もの)たちが与(あた)えられました。
アリマタヤ出身(しゅっしん)のヨセフは、主(しゅ)イエスの弟子(でし)でありながら、ユダヤ人(じん)たちを恐(おそ)れて、そのことをこれまで隠(かく)していました。その彼(かれ)が、総督(そうとく)ピラトのもとに進(すす)み出(で)て、主(しゅ)イエスのお体(からだ)を取(と)り降(お)ろしたいと願(ねが)います。ピラトはこれを認(みと)め、主(しゅ)イエスのお体(からだ)をヨセフに引(ひ)き取(と)らせます。
十字架(じゅうじか)から取(と)り降(お)ろした主(しゅ)イエスのお体(からだ)を墓(はか)に葬(ほうむ)るのに、ニコデモも進(すす)み出(で)ました。ニコデモはかつて、夜(よる)ひそかに主(しゅ)イエスのもとを訪(たず)ねて来(き)たことがあります。ユダヤ人(じん)たちの議(ぎ)員(いん)の一人(ひとり)でしたが、彼(かれ)も人目(ひとめ)をはばかって、夜(よる)の間(あいだ)に主(しゅ)イエスのもとを訪(たず)ねました。そのニコデモが、没薬(もつやく)と沈香(じんこう)を混(ま)ぜたものを百リトラ(およそ33キログラム)も手(て)に入れて、主(しゅ)イエスの葬(ほうむ)りのために持(も)ってきました。
神(かみ)からの誉(ほま)れ(栄光(えいこう))よりも、人(にん)間(げん)からの誉(ほま)れ(栄光(えいこう))の方(ほう)を好(この)んだ(12:43)ヨセフとニコデモが、十字(じゅうじ)架(か)で死(し)んだ主(しゅ)イエスと出会(であ)い、神(かみ)さまの栄光(えいこう)のために、大胆(だいたん)にも自(みずか)らを差(さ)し出(だ)したのです。
福音書(ふくいんしょ)記者(きしゃ)ヨハネもまた、主(しゅ)イエスの死(し)によって、導(みちび)き出(だ)されました。ヨハネは十字架(じゅうじか)で死(し)んだこの主(しゅ)イエスが神(かみ)の子(こ)メシアであると示(しめ)され、これが真実(しんじつ)であると証(あか)しします。
真実(しんじつ)と訳(やく)された言葉(ことば)は神(かみ)さまの真(しん)理(り)を表(あらわ)す言葉(ことば)です。神(かみ)さまの真理(しんり)を人間(にんげん)が決(き)めつけることはできません。それでもヨハネは自(みずか)らの証(あか)しが真実(しんじつ)だと言(い)います。神(かみ)さまが、十字架(じゅうじか)で死(し)んだ主(しゅ)イエスを死者(ししゃ)の中(なか)から復活(ふっかつ)させることをもって、ヨハネにこの真理(しんり)を証(あか)ししてくださったゆえにです。
神(かみ)さまはヨハネ、ヨセフ、ニコデモを十字架(じゅうじか)の主(しゅ)イエスの前(まえ)に立(た)たせ、この御方(おかた)を神(かみ)の子(こ)メシアとお示(しめ)しくださいました。そして十字架(じゅうじか)の主(しゅ)にあって自(みずか)らをご自身(じしん)へとささげる者(もの)たちを復活(ふっかつ)の主(しゅ)イエスの命(いのち)に与(あずか)らせます。この十字架(じゅうじか)の主(しゅ)の前(まえ)に、神(かみ)さまはわたくしたちをも招(まね)いておられます。