主イエスが十字架の上で息を引き取られました。このとき、主イエスの十字架の死によって、神さまを信じ、神さまへと自らをおささげする者たちが与えられました。
アリマタヤ出身のヨセフは、主イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことをこれまで隠していました。その彼が、総督ピラトのもとに進み出て、主イエスのお体を取り降ろしたいと願います。ピラトはこれを認め、主イエスのお体をヨセフに引き取らせます。
十字架から取り降ろした主イエスのお体を墓に葬るのに、ニコデモも進み出ました。ニコデモはかつて、夜ひそかに主イエスのもとを訪ねて来たことがあります。ユダヤ人たちの議員の一人でしたが、彼も人目をはばかって、夜の間に主イエスのもとを訪ねました。そのニコデモが、没薬と沈香を混ぜたものを百リトラ(およそ33キログラム)も手に入れて、主イエスの葬りのために持ってきました。
神からの誉れ(栄光)よりも、人間からの誉れ(栄光)の方を好んだ(12:43)ヨセフとニコデモが、十字架で死んだ主イエスと出会い、神さまの栄光のために、大胆にも自らを差し出したのです。
福音書記者ヨハネもまた、主イエスの死によって、導き出されました。ヨハネは十字架で死んだこの主イエスが神の子メシアであると示され、これが真実であると証しします。
真実と訳された言葉は神さまの真理を表す言葉です。神さまの真理を人間が決めつけることはできません。それでもヨハネは自らの証しが真実だと言います。神さまが、十字架で死んだ主イエスを死者の中から復活させることをもって、ヨハネにこの真理を証ししてくださったゆえにです。
神さまはヨハネ、ヨセフ、ニコデモを十字架の主イエスの前に立たせ、この御方を神の子メシアとお示しくださいました。そして十字架の主にあって自らをご自身へとささげる者たちを復活の主イエスの命に与らせます。この十字架の主の前に、神さまはわたくしたちをも招いておられます。