主イエスは十字架の上で、すべてのことが今や成し遂げられたのを御覧になりました。そして、ヒソプの枝で差し出された酸いぶどう酒を受けとり、「成し遂げられた」と言って、頭を垂れて息を引き取られました。
この十字架の死に立ち会った人々はヒソプを見て、過越の小羊が屠られるその日に主イエスが十字架で死んだことを強く覚えさせられました。この、過越祭の準備の日、ヒソプはエルサレムのどの家庭にもありました。正午には神殿で祭司らが傷のない一歳の小羊を屠ります。その屠られた小羊の血を、ヒソプの枝で家の入口に塗ります(出エジプト記12:21)ヨハネによる福音書は、この十字架の主イエスを、世の罪を取り除く神の小羊として、神さまが天からお遣わしくださった、と証します。
主イエスは息を引き取られました。ここで原文には「霊を引き渡した」という言葉が使われています。主イエスはご自身の霊を、天の父なる神さまに渡されました。その聖なる霊を、父なる神さまは、御子イエスの復活を宣べ伝えることにおいて、わたくしたちに注いでおられます。父なる神さまはわたくしたちをも、御子の十字架による償いに与らせ、主イエスの眼差しへと引き上げておられるのです。
主イエスは「すべてのことが今や成し遂げられた」と、わたくしたちを御覧です。この主イエスの眼差しの中を、神さまはわたくしたちに歩ませます。わたくしたちは、滅ぼされるままに滅ぼされて終わってしまうのではありません。死を越えて、完成へと向かって、永遠の命に生かす神が共におられます。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです(17:3)」と主イエスは前の晩に言いました。天の父なる神さまは、ご自身の御子イエスを十字架の死に明け渡してまで、わたくしたちを救おうとされました。今や礼拝へとわたくしたちを招き、御子の十字架の死からの復活をわたくしたちに告げ知らせ、わたくしたちへと差し出した永遠の命を証しておられます。