2014年10月5日日曜日

「よりどころとなる真理」ヨハネによる福音書 8:39-47

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(3:16)」。これは聖書が一貫してわたくしたちに伝える真理です。わたくしたちがよりどころとして生かされるために神さまがわたくしたちにお与えになった真理です。

この真理がわたくしたちにとっても真理となるために、主イエスは真理の霊(聖霊)によってわたくしたちのところに来ておられます。主イエスは主イエスが語られる神さまの真理をよりどころとすることを求めます。わたくしたちを聖霊によって新たに生かしたいのです。

実はわたくしたちは、それぞれに何かを真理として生きています。他の人が見てそれが偽りとして見えても、当人がよって立っているのが、その人にとっての真理です。主イエスが語っているのも、そのように何かしらを真理としている人に対してです。ここでユダヤ人が主イエスの語る真理を受け入れず信じないのは、その真理によって自分の存在が脅かされるからです。

わたくしたちもそういうところがあります。わたくしたちは自分の存在が脅かされるのであれば、届けられた真理を受け入れようとはしません。たとえその真理がどれだけ確かなものであったとしても、今の自分を失ってしまうような真理であれば、そこに立とうとはしません。わたくしたちは自分の存在を覆されるような真理であれば、信じたくないのです。

けれども、そのわたくしたちが否応なく存在を脅かされる状況に陥ったとすれば、どうでしょうか。自分の存在が絶望へと向かうのでなく、希望へと進みたいと願うでしょう。たとえば、わたくしたちは自分の命がいつか死ぬということを誰も否定できませんが、その死においてわたくしたちの存在は避けられない危機を迎えます。しかしそこで、わたくしたちの存在が希望へと覆されるのなら。希望の道が真理としてあるのなら、そこに行きたいと願うのではないでしょうか。

その希望の道がある。あなたがよりどころとして良い真理がここにある、と言って主イエス・キリストがわたくしたちのところにやって来られました。わたくしたちがこの方をよりどころとして生かされるべく、天の神さまは礼拝へと招いておられます。わたくしたちを迎え、教会を通して、御言葉の説教と聖餐をとおして、主イエス・キリストをわたくしたちに差し出し、死を越える命の希望へとわたくしたちを救おうとしておられるのです。