「わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います」。そう、パウロは誓いの定式を用い、自身の誇りを確認します。パウロは無償で神の福音をコリントに告げ知らせました。パウロはこの働きを、キリストの恵みに重ねて見ます。わたくしたちが「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる(ローマ3:24)」のと重ねて。
神さまは主イエス・キリストによってわたくしたちをお救いくださいます。これは自らの善行や献げ物や熱心な祈りによるのでなく、ただ神さまが恵もうとなさるからです。この、無償でわたくしたちが恵まれる背後に、キリストの犠牲がありました。その死によってわたくしたちを生かす神の意志を、神さまはこのキリストを復活させて表明してくださり、喜んでわたくしたちを恵まれます。パウロは無償でコリントに仕え、キリストの恵みに参与することを誇りとします。
このパウロの働きを支援するため、マケドニア地方の諸教会が協力しました。コリントの教会が無償でパウロの奉仕を受ける背後に、マケドニアの諸教会の犠牲があります。これは、自分たちの献げ物がキリストによって一人ひとりを救う神の福音に参与することを喜び、献げられたものです(8:5)。人知れずささげられた奉仕、名の知れぬ者の献げ物を神はご存知であられ、神はキリストによって一人ひとりを救う福音を告げ知らせるため、お用いになるのです。
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主イエス・キリストは言います。「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。(マタイ6:1)」。主キリストこそが、人知れずささげるわたくしたちの奉仕に伴ってくださっており、神に感謝してこれを豊かにお用いくださいます。そして神にささげる礼拝を、主はご自身がさらなる一人をお救いになるため、豊かに用いてゆかれるのです。