およそ二千年前、ベツレヘムでお生れになった御子、わたくしたちの救い主イエスは、今は天において全能の父なる神の右に坐し、創造主なる神の全権を帯び、そのご支配を地の果てに及ぼしてゆかれます。この、人知で把握しきれぬ壮大な神の救いのご計画のうちに、いと小さきわたくしたちが置かれています。教会は聖書からこれを繰り返し確認し、御子を礼拝します。
「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」。ミカにより主は、ベツレヘムのいと小さき僕ダビデがイスラエルを治める王となったこと(サムエル上16)、その子孫によりご支配をとこしえに揺るぎないものとすると約束したことを(サムエル下7)、民に思い起こさせます。ダビデは主が「治める者」をもたらすのに先立つしるしとなります。
御子イエスが誕生したとき、このミカの預言が確認されました。王ヘロデの下、祭司長・律法学者たちは「ユダヤ人の王としてお生れになった方はどこにいるのか」との問いに対しこの預言をもって答えます(マタイ2)。ですがこの者たちは、御子をメシア・キリスト救い主として受け入れず、ついに十字架で処刑することへ追い込みます。そして御子は「これはユダヤ人の王である」との罪状書きの下、いと小さき者として死んでゆかれます。
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ところが三日目に、この御子が復活させられました。この復活に、全能の父なる神との交わりとご支配が、死を超えて揺るぎないものとして示されています。御子はこの交わりにわたくしたちを加え、そのご支配を全うしてくださいます。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです(エフェソ1)」。