「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」。見えるこの世界が、見えない神の言葉によって造られた。そして造られたものは神の言葉を映し出しているのであり、見えない神の言葉によって成り立ち、見えない神の言葉を反映している。
見えているものは、見えない事実と不可分です。それは、見えるものに、見えない神の言葉、神の意志が反映されているはずだからです。これと軸を同じくして、ノアやアブラハムも信仰の旅を出発させられました。洪水の上を浮かぶノアの箱舟は、あの時ノアに告げられた神の言葉の見える姿です。洪水の上を浮かぶノアの箱舟には、見えなかった神の言葉、神の意志が反映されています。ノアは望まされたところに拠って立ち、見えなかった事実を確認させられたのです。
アブラハムは行き先も知らずに出発させられ、よそ者として他国に宿ります。しかしその旅路は、神が約束してくださった天の故郷を熱望し、はるかに見るものでした。こうして歩まされて来た先人たちの旅は、見えない天の故郷における安息(神との交わり)を目指すものとして、わたくしたちに対し映し出されています。
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この安息を、神さまは十字架で死んだ御子イエス・キリストを死者の中から復活させて、お示しくださいました。主イエスの弟子たちに見える姿で現してくださいました。それは、死を越えてなお備えられていた、父なる神との交わりです。神さまはこの御子の死と復活を告げ知らせる礼拝において、ご自身とわたくしたちとの死を超える交わりを証しし、わたくしたちをこれに与るよう招きます。そこに、天地創造の神の喜びがあるのであり、神さまは、「本当に良かった」とわたくしたちとも先人たちとも一緒に喜びたいのです。この喜びに拠って立つ神との交わりが始められたのです。