2018年9月23日日曜日

「赦し この人が神の御前に」コリントの信徒への手紙二 2:1-11

わたくしたちはだれもが、自分じぶんたいしても他人ひとたいしてもやぶれをかかえます。聖書せいしょは、ひととの関係かんけいやぶれてしまうわたくしたちの根底こんていかみとの関係かんけいやぶれをます。かみまえにあるよろこびをうしなったわたくしたちは本当ほんとう自分じぶん見失みうしない、自分じぶんあいせず、ひとをもあいすることができないつみおちいる。この、やぶれをかかえたものが、ただキリストによって罪赦つみゆるされ、かみまえたせていただく。
キリストは、罪人つみびとのかしらとして、十字架じゅうじかでそのってくださいました。しかしこのキリストが、ふっかつさせられたのであり、かみは、罪人つみびとのかしらとしてんだこのキリストを、御前みまえたせ、わたくしたちのしゅとしてくださいました。これはこのおかたたいするかみ勝利しょうり宣言せんげんであり、かみさまは、わたくしたちのつみたいする勝利しょうりを、しゅ復活ふっかつあかしして宣言せんげんするのです。キリストはわたくしたちのつみやぶり、わたくしたちをもかみ御前みまえたせてくださいます。
われらにつみおかものわれらがゆるすごとくわれらのつみをもゆるたまえ」。こういのるようしゅキリストはめいじます。それはつみがただ自分じぶんかみとの関係かんけいだけのことではなく、自分じぶんひととの関係かんけいにおいてもかなしみをもたらすからです。パウロはコリントの教会きょうかいにあったかなしい出来事できごとについて、原因げんいんとなったひとゆるすようもとめます。「そのひとには、多数たすうものからけたあのばつ十分じゅうぶんです。むしろ、あなたがたは、そのひとかなしみにちのめされてしまわないように、ゆるして、ちからづけるべきです」。
ゆるがわの、ゆるしたあと責任せきにんは、キリストが一緒いっしょってくださいます。むしろキリストの責任せきにんのもとにこのひとたしかにくよう、もとめられます。「このものをも、キリストはかみまえたせてくださる」。キリストはすべきわたくしたちにまでへりくだってくださったのであり、すべてに勝利しょうりして、わたくしたちをあいするかみのもと、むかえてくださいます。教会きょうかいはこのキリストを信頼しんらいし、このかみよろこびへと、一人ひとりひとりをおむかえしてまいるのです。