2018年8月12日日曜日

「正気になって身を正す」コリントの信徒への手紙一 15:29-34

どもは、父親ちちおやひざうえって、絵本えほんんでもらうのが大好だいすきです。そうしてもらうのが一番いちばんだとっています。絵本えほん言葉ことばがすべてはわからなくても、んでもらう絵本えほん世界せかい自分じぶんはいって、安心あんしんします。そのこえいて、んでいるおや言葉ことば世界せかいかたりかけるおやこころ世界せかいたされます。そうしてくれるのをどもはもとめ、そのこえっているのです。
わたくしたちとてんちちなるかみさまとの関係かんけいもそうです。このおかたはわたくしたちのつくぬしです。わたくしたちはこのおかたひざかれ、そのこえくことをもとめています。かみさまも、そのようにわたくしたちをまねきます。
最初さいしょひとアダムについてもそうです。アダムは、ってべるなとわれたからってべてしまった。そこでかれひらかれますが、かみさまのまえてなくなりました。かみさまのかおけ、かくれます。かみさまとのあいだへだてるものをもうけます。
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ところが、かみさまはアダムによびかけます。「おまえはどこにいるのか」。
かみさまはわたくしたちがわすかおたず、かみらずかみなしであゆもうとするのに、むねいためます。「おまえはどこにいるのか」。「ここにいろ」とびかける、わたくしたちのかみがおられます。このかみさまのかおを、かみさまは御子みこキリストを十字架じゅうじかから復活ふっかつさせあらわしてくださいました。わたくしたちのさえもえ、ご自身じしんかおまえにわたくしたちをたせようとするご意志いしあらわしてくださったのです。
パウロは、「正気しょうきになってただしなさい」といます。わたくしたちのえて「どこにいるのか」とびかけ、かみさまのかおまえがらせてくださるかみがおられるからです。いまかみみぎしておられる御子みこキリストが、このご支配しはいをわたくしたちにとどけるため、ご自身じしんからの復活ふっかつらせる礼拝れいはいまねきます。礼拝れいはいむかえられた一人ひとりひとりが、かみさまのひざうえでそのこえくよう、わたくしたちをまねいておられるのです。