「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか」。パウロはここで、わたくしたちに宣べ伝えられられてきたキリストの復活というのは身体のよみがえりを約束するものであると確認します。神はキリストを、身体をもって死者の中から復活させたからです。
復活させられたキリストが弟子たちに現れたとき、弟子たちは亡霊を見たのだと恐れます。その弟子たちにキリストは手足を見せます。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」(ルカ24:39)。そう言って、弟子たちのところにあった焼き魚を平らげてしまいます。キリストは身体をもって死者の中から復活させられ、身体をもって弟子たちに現れました。
教会はこの復活を証ししてきました。それは何か、「あの人は死んだけれども、あの人の精神は私の中になお生きている」という思いを心に抱かせ、「あの人の精神を受け継ぐ」ことを目指すのではありません。むしろ、現されたキリストの復活において約束された身体のよみがえりを神がわたくしたちに実現してくださる日へと、ここから新たに拠って立つことに主眼があります。キリストは単に霊的に復活したのでなく、身体をもって復活させられたからです。
偉大な精神の継承は尊い働きですが、神が教会に委託したのは、キリストを復活させた神の力を告げ知らせ、わたくしたちの身体をよみがらせる神の約束の実現へと、立ち上がらせることにある、パウロはと見ます。わたくしたちの初穂としてキリストは死者の中から復活させられました。神はここに、わたくしたちの身体のよみがえりを約束し、わたくしたちをキリストと一つとし、この方の復活をこの身に実現してくださるのです。