「愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい」。パウロはそう命じます。神さまはわたくしたちを愛してくださいます。愛してくださることに信頼し、愛を求めるようパウロは命じます。神さまに愛され、そこからわたくしたちは神さまを知っていくことになります。私を愛してくださる神との交わりを深めてゆくことになります。
神さまは御子イエスを十字架の死に明け渡すことさえして、わたくしたちに対するご自身の愛をお示しになろうとしました(2:9)。その死を代価としてわたくしたちをご自身のものとしようとされたのです(6:20)。このようにしてまでわたくしたちを愛し、ご自身そのようなお方であることを知らせるため、神さまは御子を死者の中から復活させ、ご自身の証しとしてくださいました(15:4)。この神さまとの出会いをもたらすため、御子イエスは来られたのです。
この出会いは、神さまを知ることになった本人にとって何物にも換えることのできない賜物です。そこでわたくしたちは自分が神の愛の言葉によって造り上げられてゆくことを知ります。ただその出会い方や神に愛されていると知ったきっかけは、人それぞれであり、同じようにすれば同じように知れる出会えるというようなものではありません。ですから神から受けた愛を、理性によって受け止め、解釈し、届けられた神からの言葉を豊かに受けてゆくことが必要です。
そのためにも、神さまとの愛の交わりに迎えられたわたくしたちは、自分の思いをそこに満たすのでなく、神の思いを満たしていただく必要があります。わたくしたちに注がれた神の愛はわたくしたちに収まり切らず、わたくしたちから溢れ、ほかの人が造り上げられるため注がれてゆきます。神の教会が造り上げられてゆきます。このため、神の言葉に聞き、御子イエスを受け入れる礼拝がわたくしたちのところにまでやってきました。