「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」。信仰と希望と愛。これは神さまとの交わりです。造り主なる神さま、天の父なる神さまとわたくしたちとの交わりです。父なる神さまが与えてくださったこの交わりに、わたくしたちがいつまでも留まるよう、主イエスは最後までしっかりと支えてくださいます(1:8)。
主イエスこそが、わたくしたちを愛し、死を超えてわたくしたちを呼び起こし、ご自身と父なる神さまとの交わりのうちに、わたくしたちを抱き寄せてくださいます。ここでの愛は、キリストに表された、神の愛です。主イエス・キリストが、十字架で自らの命をささげ、わたくしたちを愛してくださいました。その命によって、わたくしたちが生かされ、わたくしたちを神のものとする身代金として、キリストはわたくしたちのために死んでくださったのです(7:23)。
それがまことにそうだ、という神の宣言として、神さまは、十字架で死んだ御子キリストを、死者の中から復活させました。ここに神さまは、自らの独り子を明け渡してまで、わたくしたちを神の子としようとする天の父としての顔を現し、お造りになった一人ひとりを愛し抜く造り主であることを、証ししてくださったのです。復活させられたキリストはこの御父の顔の前にある御子としての姿を現し、この交わりに与る礼拝へとわたくしたちを迎えてくださいます。
そして、主イエス・キリストの来てくださる日、わたくしたちは顔と顔を合わせて神を見ることになる。それは高ぶるためではありません。もう、そんな思いは廃れてどうでも良くなってしまっています。神さまが、この自分を全て受け入れてくれた。死も苦しみも、悩みも悲しみも、全部知り、そこに共にいてくださった。もうそこには、誰の妬みもありません。誰の自慢も、苛立ちも、恨みも。いつまでも残るのは愛、この神との交わりです。