2017年10月8日日曜日

「世界の始まる前からのもの」コリントの信徒への手紙一2:6-16

()どもは「()て、()て」と自分(じぶん)がすることを大人(おとな)()てくれるようせがみ、自分(じぶん)(あい)されているのを(たし)かめます。わたくしたちは自分(じぶん)()言葉(ことば)(ひろ)がりの(なか)()きますが、その(そと)にある言葉(ことば)から自分(じぶん)(みと)められ、()()れられたいと(ねが)います。(あい)するというのもそうです。自分(じぶん)(そと)にある、(あい)してくれる(もの)言葉(ことば)へと自分(じぶん)()()され、わたくしたちは(そと)にある言葉(ことば)との(まじ)わりに(あら)たに()かされます。
わたくしたちの言葉(ことば)には(かぎ)りがあります。言葉(ことば)限界(げんかい)はそのまま、(おも)いや(かんが)えの限界(げんかい)となります。自分(じぶん)(なに)(もの)であるかについてもそうです。わたくしたちは自分(じぶん)(なん)たるか、自分(じぶん)(ひょう)(げん)できる以上(いじょう)には()りません。たしかに、言葉(ことば)()(かさ)ねによって、(こと)()以上(いじょう)(なに)かを表現(ひょうげん)し、()()ることがあります。ただそれにも(かぎ)りがあります。わたくしたちは自分(じぶん)支配者(しはいしゃ)でありながらも、(かぎ)られた自分(じぶん)しか()()ず、理解(りかい)()ないでいるのです。
パウロは、この知恵ちえについて「このほろびゆく支配者しはいしゃたちの」といます。わたくしたちもそうでしょう。わたくしたちはみずからのほろびをえる言葉ことばちません。かぎりあるこの自分じぶん自分じぶんではえられない。わたくしたちはすべきこのへと、かみ言葉ことばあたえられるようもとめます。つくぬしがこのわたしをあいする言葉ことばを、きたいのです。そしてまさにこのわたしが聞くべく、かみ十字架じゅうじかんだ御子みこイエスを復活ふっかつさせ、そとからこえひびかせてくださいました。
パウロはこの言葉(ことば)を、「(かみ)がわたしたちに栄光(えいこう)(あた)えるために、世界(せかい)(はじ)まる(まえ)から(さだ)めておられたもの」と()います。()わることのない(かみ)言葉(ことば)が、(とど)けられました。「わたしの()よ」と()すべきこの()(かた)りかける(つく)(ぬし)がおられます。この(かみ)御声(みこえ)により、わたくしたちは()()えて(あい)され、(てん)(ちち)との(まじ)わりに()かされます。わたくしたちは礼拝(れいはい)(ごと)にこの言葉(ことば)()げられ、(そと)へと()()され、(ちち)なる(かみ)との(まじ)わりに(あら)たに()かされるのです。