弟子たちは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言いますが、主イエスが捕らえられると、皆、主イエスを見捨てて逃げてしまいました(26:56)。弟子たちは主イエスとの関係を損ない、破れを抱えたままです。そのまま主イエスは十字架に引き渡され死んでしまいました。
主イエスが死んでしまいましたから、もう、弟子たちは関係を修復することがかないません。主を見捨て、知らないと公言した彼らは、人の前にも神の前にも立ち得ません。そこでたどり着くのは、「もうだめだ」というところです。けれどもこの弟子たちに主イエスは約束しました。「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」。主イエスはなお弟子たちを見捨てません。ご自身が復活させられた後には、この弟子たちに会いに行く、と約束します。
弟子たちが主イエスを裏切ることになったこの晩、主イエスは特別な食卓をもって弟子たちに告げておきました。「取って食べなさい。これはわたしの体である」。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」。主イエスはパンを割き杯に与らせ、ご自身が十字架の死をもってわたくしたちの命の責任を負うという決意を表します。もはや立ち得なくなるこの命の責任を負うと宣言するのです。
十字架の死から三日目、復活させられた主イエスは弟子たちに出会ってくださいました。それから五十日目、弟子たちは聖霊を与えられ、主イエスの死と復活が、自分とすべての民の為だと知ります。今や神に招かれたわたくしたちの前にあるのは、この身を死から復活させる神の言葉です。主は聖霊を与え、この実現に向けわたくしたちを新たに立ち上がらせます。主イエスは死すべきわたくしたちの責任を負い切ってくださるというのです。